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藤井聡太二冠が直面する「谷川永世名人よりも上座」の重圧

ライフ・マネーFLASH編集部
記事投稿日:2020.09.18 06:00 最終更新日:2020.09.18 06:00

藤井聡太二冠が直面する「谷川永世名人よりも上座」の重圧

谷川九段(十七世名人)のほか、歴代 “大名人” の揮毫が並ぶ床の間を背にした藤井二冠

 

 9月9日、B級2組順位戦で藤井聡太二冠(18)が対戦したのは、谷川浩司九段(58)。谷川九段は、中学生棋士としてプロ入りし、将棋界のタイトルの頂点である「名人位」の永世称号資格保持者だ。

 

 谷川九段の “光速流” と呼ばれる終盤の指し回しには、藤井二冠をはじめ多くの棋士が影響を受けている。まさに、「棋界のレジェンド」と呼ばれる第一人者と戦ったわけだ。

 

 

 この新旧「天才」対決を制したのは、藤井二冠だった。日本将棋連盟理事の森下卓九段は、藤井二冠の指し手に “王者の系譜” を感じたという。

 

「かつての羽生(善治九段)さんも、『盤の底まで考えているぞ』という気迫がありました。藤井君も棋聖になったときに、『探求』という文字を書きましたが、そういう思いを持って、この対局を読み抜いたんじゃないでしょうか」

 

 この日、対局室に入った谷川九段は、みずから下座に着き、藤井二冠に上座を譲った。「棋界には、年齢など関係なく、序列上位の棋士が上座に座る慣習がありますが……」と話すのは、観戦記者の椎名龍一氏だ。

 

「序列は、タイトル保持者を筆頭に、永世名人などの永世称号保持者、九段、八段と続き、段位が同じ場合は、棋士番号が若いほうが上座に座ります。

 

 谷川九段は、現在はタイトルを持っておらず、藤井二冠は棋聖、王位のタイトル保持者ですから、藤井二冠が上座に着くことになります。ですが、憧れの大先輩棋士である谷川九段の上座に着くことに、プレッシャーを感じないはずがありません」(椎名氏)

 

 今回、対局の場となった関西将棋会館「御上段の間」には、谷川九段をはじめ、歴代永世名人の掛け軸が並ぶ。その掛け軸を背にした最上座は、長年にわたり谷川九段の “指定席” だった。

 

「上座」をめぐる盤外戦は、これまで何度も繰り返されている。1984年、十段リーグで、当時名人位を保持して序列トップだった谷川九段が対局室に入ると、加藤一二三九段が先に上座に座っていた。谷川九段はのちに、「私の座る場所がなかった」と語っている。

 

 1994年には、中原誠永世十段、谷川浩司王将(ともに当時)とのA級順位戦の対局で、続けて羽生善治四冠(当時)が上座に座ったときも、大きな波紋を呼んだ。当時、羽生四冠はA級に昇格した初年度だった。森下九段が当時を振り返る。

 

「当時は、『羽生さんの態度は傲慢だ』と言われたりもしました。でも私は、『四冠王が下座に座ってどうするんだ』というのが、正直な感想でした。中原先生や谷川先生が、そんなことで怒ったと聞いたことがありません。

 

 今回も、さすが谷川先生だと感心しました。藤井君に神経を使わせまいと、先に来られて下座に着かれたのだと思いますよ」

 

 では、もし今回、藤井二冠が先に入室していたらどうしただろうか。

 

「当時とは時代や棋士も、社会全体の雰囲気も変わりました。藤井君は内心の葛藤はあっても、さらっと上座に座ったのではないでしょうか」(同前)

 

 2018年に、六段で初代叡王位を獲得した高見泰地七段も、自身の経験からこう話す。

 

「先に上座に荷物を置いて、連盟内のどこかで相手の入室を待つか、相手がどちらに座るかぎりぎりまで待って、対局室に入る。私は後者でした。

 

 でも、藤井二冠が先に上座に座っていたとしても、谷川先生も自然に受け入れてくれたはず。それが、将棋界で繰り返される歴史であり、伝統なのだと思います」

 

 谷川九段が21歳で史上最年少名人になったころ、米長邦雄九段・芹沢博文九段という、当時の棋界の第一人者と会食をした。じつは、このときの “秘話” があるという。

 

「帰り際、タクシーを停めた米長先生と芹沢先生の2人は、『名人からお乗りください』と、谷川先生に先を譲った。このとき谷川先生は、『初めてタイトルの重みを感じた』と話されていました」(将棋関係者)

 

“最年少名人” の大記録を持つ谷川九段。藤井二冠に「上座」を譲ることで、「タイトルを獲るということ」の意味を、身をもって教えたのかもしれない--。

 


写真・朝日新聞

 

(週刊FLASH 2020年9月26日・10月6日号)

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