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住みやすい街1位でもヤンキー祭…埼玉の「地元らしさ」とは
ライフ・マネーFLASH編集部
記事投稿日:2020.09.21 16:00 最終更新日:2020.09.21 16:00
埼玉の辺境をめぐり、各エリアのメシ屋をたどる『埼玉「裏町メシ屋」街道旅』が発売された。『マツコの知らない世界』(TBS系)で「板橋しっとりチャーハン」を提唱した刈部山本さんが、2018年に出版した『東京「裏町メシ屋」探訪記』の第2弾となる。
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「前回の本を出した後、次回作としていくつか提案した企画のなかでも、『埼玉で』と言われたときは、正直驚きました。『埼玉で大丈夫なんですか!?』という(笑)。読者がいるのか不安でしたが、埼玉で生まれ育った僕としては、書かせてくれるなら喜んで、という思いで書き上げました」
表紙をめくると、「工場労働者が支えた川口」「西川口~蕨 今昔物語」「ラーメンショップ路線バスの旅」「大宮~川越を繋ぐ痕跡」など、一見グルメ本らしからぬ目次が目に入る。刈部さんは「企画ありきで店を探したわけではなく、ここ10年ぐらいでめぐった、埼玉のいろんな店をまとめました」と話す。
食べ物を軸に街歩きした結果、そのエリアの「らしさ」を再発見する旅ともなった。
「常に自分のなかで、その時々で盛り上がっているテーマを追いかけています。たとえば、川口の駄菓子『ぼったら』を追いかけたときに、深谷もんじゃという存在を知って深谷に行くという具合に。
深谷って、渋沢栄一の故郷なんですよ。僕、もともと王子の方はよく行ってたんですが、あそこは渋沢栄一関連の博物館があるじゃないですか。そこに気づいたとき、埼玉と東京がちょっと結びついたんですよね。
深谷はレンガ製造が盛んな街で、東京駅には深谷のレンガが使われているんです。そこに関わったのが渋沢栄一です。深谷で『日本煉瓦製造』という会社を作って、東京まで煉瓦を運んだ。
じゃあ実際、東京までレンガをどう運んだのか調べたら、利根川や江戸川を経由して入ってきて、その後舟運から鉄道に変わって高崎線で運んだと知って、東京と埼玉がどんどんつながっていった。
『街道旅』というタイトルにしたのは、そういった東京と埼玉のつながりを考えてのことです。中山道や川越街道といった昔の街道が、全部東京につながっている。本の企画自体、東京から始まっている本というか、旅なので。埼玉っていう漠然としたテーマに不安があったわりには、自分のなかで綺麗にオチましたね」
最近は埼玉も開発が進み、「ここにしかないもの」が減って、どこも似たような風景になってきた。
刈部さんは、川口出身だ。川口も、「前の風景を知っている人間からするとびっくり」と言わしめるほど様変わりした。田んぼや工場跡に高層マンションが建てられ、発展性を評価された結果、「本当に住みやすい街大賞2020」(ARUHI調べ)では見事1位を獲得した。
「川口は、開発しづらさがないんですよね。もともと田んぼがすごく多いし、関東平野で坂がないから、移動にストレスがない。そんな場所をここ30年ぐらい、住宅街として切り売りしてきたんです。工場も大きい土地もあるから、一気にエルザタワーみたいな高層マンションをボンッと立てられる。
マンションの1階ではテナントが募集されて、お店が入る。有名なパン屋さんもできているみたいで、そういうところが『出没!アド街ック天国』で紹介される。それで、『住みやすい』とされるイメージがついてきたんじゃないでしょうか。ただ、住んだことのある人間から言わせてもらうと、23区と比較して税金は高かったですよ(笑)」
刈部さんが子供の頃は、工場街として賑わっていた川口。同級生は「工場の子供」と「飲食店の子供」が2大勢力で、そこに「マンションの子供」が徐々に入ってきたような時代だったという。刈部さんが「川口らしい」と感じる文化は、今も残っているのだろうか。
「毎年12月に川口で開かれる、おかめ市っていうお祭りがあるんですが、毎年どっからわいてきたのかわからない大量のヤンキーたちが、いろんな地区から祭りに集結するんですよ。
それを遠くからPTAと警察官がにらんでいて、『なんかあったらいくぞ』というシュールな緊張感がある。ブログで何度か紹介したんですが、川口に住んでいる人から『お前は二度と川口に帰ってくるな』って言われました(笑)。地元の人からすると恥部なんでしょうが、あれは川口らしいなと思いますね」
※刈部山本さんの『埼玉「裏町メシ屋」街道旅』(光文社知恵の森文庫)が発売中