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史上最高の天才、フォン・ノイマン「人間のフリをした悪魔」の素顔

ライフ・マネーFLASH編集部
記事投稿日:2021.03.29 16:00 最終更新日:2021.03.29 16:00

史上最高の天才、フォン・ノイマン「人間のフリをした悪魔」の素顔

写真:Ullstein bild/アフロ

 

 原子爆弾やコンピューターの開発に関わった史上最高の天才のひとり、フォン・ノイマンについて、教授と助手が語りあう。

 

教授 ジョン・フォン・ノイマンは、1903年12月28日、オーストリア・ハンガリー帝国のブダペストで生まれた。当時のブダペストの人口は80万人を超え、ロンドン、パリ、ベルリン、ウィーン、サンクト・ペテルブルクに次ぐヨーロッパ第6位の大都市だった。街並みには600を超えるカフェがあり、ヨーロッパ最高峰の高等教育で知られるギムナジウムが3校あった。

 

 

 後にアメリカでフォン・ノイマンと一緒に原水爆を開発した物理学者レオ・シラード(1898年生)、ユージン・ウィグナー(1902年生)、エドワード・テラー(1908年生)、さらに哲学者マイケル・ポランニー(1891年生)、数学者ポール・エルデシュ(1913年生)、ホログラフィーを発明した電子工学者ガーボル・デーネシュ(1900年生)のような優秀な人材が、同時代のブダペストで誕生し、市内3校のギムナジウムのどれかの卒業生だった。

 

助手 どうして当時のブダペストに、それほど多くの天才が現れたんでしょうか?

 

教授 その質問に対して、ウィグナーは次のように答えている。「その質問は的外れだよ。なぜなら天才と呼べるのはただ一人、ジョン・フォン・ノイマンだけだからだ!」

 

助手 そんなにノイマンは特別だったんですか?

 

教授 彼が幼児期からどんなに人間離れした天才だったかについては、数えきれないほどのエピソードがある。

 

 ノイマンの父親は銀行の顧問弁護士、母親はユダヤ系大富豪の娘で、彼らの一族は4階建てのビルで一緒に暮らしていた。1階に会社事務所があり、ノイマン一家は4階に居住したが、そのフロアだけで18部屋あったというから、いかに豪勢なビルだったかわかるだろう。

 

助手 「フォン」ということは、貴族の家系?

 

教授 1913年、ノイマンの父親がフランツ・ヨーゼフ帝から貴族に叙せられ、世襲の称号「フォン・ノイマン」を与えられた。この称号は「金で買った」ものではないかと、揶揄するような伝記もあるがね。

 

 当時のハンガリーの上流家庭では、ギムナジウムに入学する10歳まで、子どもを家庭内で教育するのが普通だった。ノイマンは、幼児期から母語のハンガリー語はもちろん、住み込みのドイツ人とフランス人の家庭教師からドイツ語とフランス語を学んだ。さらに英語とイタリア語に加え、父親が教養として重視していたギリシャ語とラテン語の英才教育も受けた。

 

「6歳の頃には、父親と古典ギリシャ語で冗談を言い合って、家族を煙に巻いたものだ」というのが、後にノイマンが得意気に語った自慢話の一つでね。

 

助手 古典ギリシャ語で冗談を言い合う6歳児とは……。

 

教授 ノイマンの記憶力は幼児期から抜群で、彼がフォン・ノイマン家のパーティで披露してみせたのは、客が開いた電話帳のページをその場で暗記するゲームだった。

 

 その後で、客がランダムに氏名を言うと、ノイマンがその電話番号と住所を答え、電話番号を言うと、氏名と住所を答えた。さらに幼いノイマンは、6桁の電話番号の列をすべて足した和を暗算で求めることもできた。

 

 8歳になると、ノイマンは父親の図書室にあったドイツの歴史家ウィルヘルム・オンケンの『世界史』全44巻を読み通した。とくに南北戦争の章はお気に入りで、後にアメリカの古戦場を訪れた際には、その章を一字一句間違えずに暗唱してみせた。そもそもノイマンは、基本的に、一度読んだ本や記事を一字一句たがわずに引用することができたというからね。

 

助手 まさに神童!

 

教授 ギムナジウム入学直後から、ノイマンは、音楽と体育を除くすべての学科でトップの成績を収めた。とくに数学では、最上級のクラスに入れても簡単すぎたため、大学教授が彼のために特別講師を務めた。

 

 ノイマンが11歳のとき、彼よりも1年上級のウィグナーが「おもしろい定理があるんだけど、証明できるかな?」とノイマンに尋ねたことがある。それはウィグナーにも証明できない自然数論の難解な定理で、いくらノイマンでも容易には証明できないだろうと思っていた。

 

 するとノイマンは、「この定理を知っている? 知らないか……。あの定理はどうかな?」と、さまざまな自然数論の基本定理を挙げて、ウィグナーがすでに知っている定理をリストアップした。そして、それらの定理だけを補助定理として用いて、遠回りしながらではあるが、結果的にその難解な定理を証明してみせた。

 

助手 カッコいい!

 

教授 ウィグナー自身、後にノーベル物理学賞を受賞したほどの天才肌の人物だからね。もちろん当時から、数学も抜群に優秀だった。その彼にできない証明を、ノイマンはウィグナーの知識だけを用いて導いたばかりか、より適切な補助定理を使えば、遥かに簡潔に証明できることも同時に示した。この事件以来、ウィグナーは、ノイマンに「劣等感」を抱くようになったと述べている。

 

助手 そんな事件があったら、打ちのめされますね。

 

教授 ノイマンがギムナジウムを首席で卒業した後、彼の父親は「数学では金が稼げない」と考えて、息子を大学の化学科に進学させることにした。ただし、ブダペスト大学大学院数学科の試験を試しに受けてみることを許可したところ、なんとノイマンは、大学を飛び越えて大学院に合格してしまった。

 

 結果的にノイマンは、スイス連邦工科大学応用化学科を卒業したんだが、在学中に大学院の勉強も進め、22歳で学位論文を完成させて、博士号を取得した。

 

助手 22歳の博士とは、想像を絶する天才ですね。まるで、レオナルド・ダ・ヴィンチみたい!

 

教授 たしかにノイマンは、ダ・ヴィンチ的な「万能の天才」だった。幅広い分野の天才だけが集まるプリンストン高等研究所の教授陣のなかでも、さらに桁違いの超人的な能力を示したノイマンは、「人間のフリをした悪魔」と呼ばれたくらいだからね。

 

 

 以上、高橋昌一郎氏の新刊『20世紀論争史 現代思想の源泉』(光文社新書)をもとに再構成しました。哲学と科学を横断し、20世紀を代表する知性による「知」の戦いを俯瞰します。

 

●『20世紀論争史 現代思想の源泉』詳細はこちら

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