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羽生善治九段 あと1敗で通算勝率が7割を切るピンチ!「でも、羽生さんだからこんなことが話題になる」
ライフ・マネーFLASH編集部
記事投稿日:2021.08.27 20:06 最終更新日:2021.08.28 02:25
将棋史上最強の棋士。
羽生善治九段(50)をシンプルに表現するとすれば、その一言で十分だろう。
羽生の強さの一端に触れるには、盤上の戦いの記録として残された棋譜を並べてみればいい。その棋風は勇壮・華麗にして、精緻・繊細。不利に陥った状況からでも、観戦者の目には「マジック」としか見えないような奇想天外な勝負手を放ち、何度も信じられないような大逆転を起こしてきた。
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もちろん盤上の羽生の強さを知るためには、かなりの棋力が必要とされる。羽生の底しれぬ真の実力は、数多くの対戦を重ねてきたトップクラスでないと、わからないだろう。
一方で、勝負の結果として残された記録については、一般的な将棋愛好者でもたどることができる。羽生の偉大さを物語る客観的なデータは、それこそ数え切れないほどある。
史上初のタイトル七冠独占。史上1位のタイトル獲得数99期。史上ただ一人、7つのタイトルで永世称号を獲得。あげていけばキリがないが、どれも気が遠くなるような信じがたい記録である。
羽生の通算勝数は2021年8月27日現在で1485勝。これもまた歴代1位だ。その上でさらに注目すべき数字がある。通算勝率だ。以下の数字を見て、どう思われるだろうか。
■羽生善治九段(50歳)0.7001(1485勝636敗)
「通算勝率7割以上」とは、羽生の強さを語る上で、しばしば言及されてきた数字だ。それがどれほどのものなのか、他者の例と比べてみたい(以下同様に成績は2021年8月27日現在、持将棋=引分は省略)。
もし有望な若手棋士ならば、デビュー以来しばらくの間、通算勝率7割を超えることはある。それでも局数を重ねていくうち、いずれは6割になることがほとんどだ。
羽生以外で300局以上指し、7割を超えている棋士は、実は1人しかいない。
■永瀬拓矢王座(28歳)0.7130(405勝163敗)
現役タイトルホルダーとして、驚くべき好成績だ。現代将棋界の2トップである名人と竜王の通算勝率を見てみよう。
■渡辺 明名人(37歳)0.6632(693勝352敗)
■豊島将之竜王(31歳)0.6832(522勝242敗)
この数字を見て「低い」と思う将棋ファンや関係者はいない。さすがは現在のトップクラスの成績であり、30代の指し盛りらしい高い勝率だ。
他の現役レジェンドクラスの例を見てみよう。
■谷川浩司九段(58歳)0.6029(1350勝889敗)
■佐藤康光九段(51歳)0.6173(1068勝662敗)
■丸山忠久九段(50歳)0.6270(948勝564敗)
■森内俊之九段(50歳)0.6136(940勝592敗)
■郷田真隆九段(50歳)0.6134(914勝576敗)
これらもさすがという成績である。50代にあってなお勝率6割キープが、いかに大変なことかを示している。
羽生は長くトップクラスの地位にあり、生涯2000局以上戦って、50歳を超えてなお勝率7割を超えている。どう形容していいのかわからないほどのハイアベレージだ。
しかし、実は羽生がもしあと1敗を喫すると、通算勝率は7割を切り、0.6998(1485勝637敗)となる。
もし仮に羽生の通算勝率が6割台になったからといって、羽生の偉大な棋歴にはいささかのキズもつかない。とはいえ、羽生が大台を割るときが来るとすれば、一つの大きな時代の区切りともとらえられそうだ。
羽生は8月28日、将棋日本シリーズ JTプロ公式戦で千田翔太七段(27歳)との対戦を控えている。千田は順位戦ではB級1組に所属。通算勝率は0.6984(278勝120敗)という強豪だ。羽生にとってももちろん難敵である。
勝率なので、仮に一度7割を切ったとしても、また勝ち星を重ねていけば再び7割に戻ることはある。羽生は通算1500勝のメモリアルまであと15勝と迫っている。それが達成されるのは時間の問題だが、そのときに通算7割をキープしているかどうかも、今後の見どころといえそうだ。
なおここまで、あえて出さなかった名前がある。じれったい思いをされた方もおられるだろう。最後に新時代のスーパースターの名とその成績を、改めて紹介しておこう。
■藤井聡太二冠(19歳)0.8398(236勝45敗)
通算7割でも至難の業なのに、8割を超えるとはいったいどういうことだろうか。それも藤井は現役タイトルホルダー。渡辺、豊島、永瀬、さらには羽生といったトップクラスを相手にしてなおこの成績というのだから、おそれいるしかない。
ネットで対局中継が始まる朝には、藤井のプロフィールが紹介される。その際、解説担当の棋士が藤井の勝率を見て、吹き出してしまう場面がよく見られる。人間はあまりにすごいものを見せられた際には、笑うしかないようだ。藤井の勝率はそれほど現実離れしている。
では一方で、1989年9月27日、羽生が19歳の誕生日を迎えた時点での通算勝率を見てみよう。
■羽生善治五段(19歳)0.8025(191勝47敗)
もし当時、現在のようにネットで羽生の対局が中継されていれば、羽生の勝率が紹介されるたび、やはり解説担当の棋士たちは勝率を見て、吹き出していただろう。
19歳になったばかりの羽生は10月付で六段に昇段。ほどなく挑戦者として竜王戦七番勝負に登場し、竜王位を獲得。名実ともにトップ棋士となった。19歳2カ月での竜王位獲得は現在にまで残る最年少記録で、すでに藤井聡太をもってしても抜くことはできない。
筆者は羽生が10代だった頃からずっと、その活躍をほぼリアルタイムで見続けてきた。もちろん昔はネットなどはなく、雑誌や新聞といった印刷物を通じ、多少のタイムラグをはさんで情報を得るよりなかった。
当時と現在とではファンが得られる情報量には格段の差がある。その前提の上で振り返ってみても、19歳羽生善治の輝きは、19歳藤井聡太の輝きと比べ、なんの遜色もない。
筆者のようなオールドファンにとって、同時代に羽生という史上最強の棋士が存在したことは、ただただ幸福なことだった。
もしこの先、羽生が生涯勝率7割を切り、のちに藤井聡太が羽生の記録をほとんど塗り替え史上最強と呼ばれるようになったとしても、羽生が残した数々の名棋譜は、微塵も色褪せることはないだろう。
注:本記事は日本将棋連盟のウェブページに8月27日時点で発表されている記録を基としており、未放映のテレビ棋戦の対局結果は含まれておりません。公開されている記録を集計した上では、28日の羽生九段—千田七段戦の結果をもって、羽生九段が通算勝率7割を割る可能性があります。しかし羽生九段—千田七段戦以前に収録されたテレビ棋戦の対局がすべて放映され、それらの結果が明らかとならない限り、羽生九段の公式記録は確定しません。その点、あらかじめご了承ください。
文・松本博文
フリーの将棋ライター、中継記者。1973年生まれ。東大将棋部出身で、在学中より将棋書籍の編集に従事。東大法学部卒業後、名人戦棋譜速報の立ち上げに尽力。「青葉」の名で中継記者を務め、日本将棋連盟、日本女子プロ将棋協会(LPSA)などのネット中継に携わる。著書に『ルポ 電王戦』(NHK出版新書)、『ドキュメント コンピュータ将棋』(角川新書)、『棋士とAIはどう戦ってきたか』(洋泉社新書)、『天才 藤井聡太』(文藝春秋)、『藤井聡太 天才はいかに生まれたか』(NHK出版新書)、『藤井聡太はAIに勝てるか?』(光文社新書)、『あなたに指さる将棋の言葉』(セブン&アイ出版)など