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田舎暮らしで美味しい井戸水を堪能していたら…ある日突然「塩素入り」になる悲劇

ライフ・マネー 投稿日:2021.09.29 11:00FLASH編集部

田舎暮らしで美味しい井戸水を堪能していたら…ある日突然「塩素入り」になる悲劇

 

 私が暮らす町には、「清流と緑のふるさと」というキャッチフレーズがある。近くには名水百選に選ばれた渓流があり、釣りをしていて喉が渇くと、川の水をすくってそのまま飲んだりしたものだ。

 

 町の背後には広大な南アルプスの山域があり、その多くが花崗岩で地盤を構成している。山々に降った雨や雪は地下にしみこみ、ゆっくりと時間をかけて段丘堆積物と呼ばれる花崗岩の岩盤層や砂礫層を通過し、伏流水として地下深くを流れていく。

 

 

 その間に地中のミネラル成分をたっぷりと含み、いわゆるミネラルウォーターができてゆく。この地には、それを求めて多くの企業がやってきている。

 

 大手洋酒メーカーや日本酒、ジュースからアイスクリーム工場まで。その多くの企業が地下水を揚水して利用し、あるいはそのままミネラルウォーターとして売り出している。

 

 それらの企業のCMなどで、豊かな自然のイメージが全国に伝わる。観光客も押し寄せてくる。おかげで当地は移住したい土地のベストいくつかに必ず入る。

 

 しかも企業は地元雇用をする。周囲の山林を買い、自然の保全地域として環境保護をうったえている。そんな素晴らしいイメージの裏側で、実は悲劇もある。

 

 ミネラルウォーターとはいえ、何しろ地下水なのだから原価ゼロ円である。ポンプでくみ上げ、多少の消毒をし、ペットボトルや出荷の運送費はかかるだろうが、元手が元手だけに儲けは大きい。

 

 いずれの企業も部外秘ということで明らかにしないが、あれだけ全国に大量に出荷されているのだから、さぞかしすさまじい揚水量であろう。国内ではまだ事例がないが、外国では水企業が大量取水したため、地盤沈下が発生したところがあったそうだ。

 

 水企業が自社工場内に井戸を掘って揚水するのなら、おそらく問題はない。ところが、あるときから突然、社外に井戸を掘るようになった。

 

 なぜ、わざわざ社外に? と思うかもしれない。公式発表がないから推測の域だが、もしや過剰に揚水したために、工場内の井戸の水位が下がってしまったのではないか。だから別の水脈を求めて、社外に土地を取得して井戸を掘り、配管や輸送によって原水をまかなっているのではないのか。

 

 私の土地のずっと下に、県外からやってきて飲料を作っている工場がある。2008年、その会社が私が住む地区のある場所に土地を得て、井戸を掘って自社までの配管工事も行った。7号井戸と呼ばれていたから、他にもたくさん社外井戸を掘ったのだろう。

 

 ところがこの新井戸が稼動してまもなく、周囲の家々の井戸の水位が下がり、中には涸れてしまったところもあった。人間が生きていくには最低でも空気と水が必要。その水がなくなればパニックである。

 

 周辺の住民たちは、仕方なく地元の簡易水道を引いた。

 

 簡易水道とは上水道に対する言葉で、給水人口が100人以上、5000人までの水道事業のことをいう。多くの場合、自己水源は井戸同様に地下水であるが、不特定多数の人間が使うということで、水道法によって浄水施設で濾過と消毒が義務づけられているため、どうしても塩素の臭いが混じってしまう。

 

 個人の家庭の井戸のように、くみ上げた水をそのまま使うわけにはいかないのだ。

 

 それまで当たり前のように蛇口から出る井戸水で飲み食いしてきた家庭が、ある日、塩素が混じった水を使わねばならなくなる。これは悲劇以外のなにものでもない。

 

 その翌年、我が家のすぐ近くの森の向こうから、ゴーリンゴーリンというすさまじい騒音が聞こえてくるようになった。

 

 周囲でアカマツの伐採をしていたため、粉砕機で枝葉を砕いているのかと思っていたが、実はそうではなかった。近所の人から連絡があって、例の7号井戸を作った企業が、我が家のすぐ下の森に取水井戸を掘っているという。

 

 現地に行ってみると、すでに工事は終わっていたらしいが、巨大な掘削機が木立の中に放置されたままだった。場所は、まさに我が家の直下である。つまりうちが使っている井戸の地下水脈の下流に当たる。

 

 水源というのは標高の低い場所で取ったほうが有利になるという。重力の効果もあって、そこに水が引き寄せられてしまうため、高い場所の地下水位がどんどん低くなる。しまいには涸れてしまう。

 

 我が家の真下に井戸を、それも企業が大量取水する工業井戸を掘られてはたまったものではない。やれやれ、またトラブルか、と嘆息した。憧れだった田舎暮らしだが、こうしたトラブルが次から次に襲ってくるのだ――。

 

 

 以上、樋口明雄氏の新刊『田舎暮らし毒本』(光文社新書)をもとに再構成しました。東京から地方に移住して20年の小説家が満を持して贈る、田舎暮らしのノウハウとダークサイドとは?

 

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