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国産ジーパン開発史…なぜ使い古すと “白い部分” が現れるのか

ライフ・マネー 投稿日:2021.09.30 11:00FLASH編集部

国産ジーパン開発史…なぜ使い古すと “白い部分” が現れるのか

 

 ジーパンは、アメリカでは労働者の「作業着」として生まれました。建築現場、炭鉱、鉄道や道路工事の労働者、工場の工員からカウボーイまで、あらゆる肉体労働者のための服、それがジーパンだったんです。

 

 一方、日本では「作業着」ではなく「ファッションアイテム」として、独自の進化を遂げていきます。

 

 

 たしかに、日本の建築現場でジーパンを穿いている人はほとんど見かけたことがない。作業着メーカーの力が強くて、業界団体が圧力をかけたから、「ジーパン穿いて現場に来たらダメですよ」ということになった、という噂話があるくらいです(笑)。

 

 第2次世界大戦後、占領下の日本でアメリカ兵(GI)たちがジーパン(Gパン)を穿いていた。同じ頃、アメリカ軍のPX(post exchange)と呼ばれる売店の放出品として、民間業者に払い下げられた物の中にジーパンがあったそうです。

 

 諸説ありますが、それを上野御徒町のアメ横にあったマルセル(現在は江東区へ移転)という店が「Gパン」として売り出した。敗戦間もない頃、インフレによる物不足、そしてアメリカへの憧れもあり、ジーパンは一気に人気アイテムとなったそうです。

 

 分厚い綿100%の生地は非常に丈夫で、実用的な面も人気の理由だったと想像できます。ジーパンを専門に扱う「ジーンズショップ」の原型もこの頃できたようです。

 

 岡山県倉敷市児島に、国産のジーパン生産の先駆けとして知られる「ビッグジョン(BIG JOHN)」というメーカーがあります。児島は、作業服や学生服といった「制服」の全国最大の生産量を誇る地域で、ビッグジョンも当時はマルオ被服という名前の学生服メーカーでした。

 

 このマルオ被服は1958年にジーンズの輸入・受託生産を始め、1965年に輸入デニムを縫製した国産第1号のジーパン「キャントン(CANTON)」を発売します。

 

 このあたりの経緯については諸説ありますが、大石貿易という商社が、アメリカの名門キャントンコットンミルズ社のデニム生地と商標を持ち込み、マルオ被服が生産を請け負い、ジーパンに縫製し「キャントン」として世に出した、ということのようです。

 

 マルオ被服は、その後、リーバイスに生地を提供していたメーカー、コーンミルズ社から生地を直接輸入し、1967年に自身の国産ブランド「ビッグジョン」を立ち上げるのです。

 

■カイハラと坂本デニムがロープ染色を開発

 

 ジーパンの生地であるデニムの一番の特徴は「色落ち」。これはデニムの経糸の紺色の糸の表面が摩滅して、染まっていない中心の白い部分が現れることによって生まれます。「中白」といいますが、糸の芯の部分が白いということです。

 

 日本でデニム生地を作るためには、まずはこの中白の糸を作らなくてはいけない。生地卸問屋「藤原」はユニチカの系列会社だったカイハラと一緒に、中白の糸の開発に挑んでいきます。一方、現在、デニム生地のトップメーカーであるクラボウ(倉敷紡績)は坂本デニムという会社と組んで開発を進めます。

 

 このカイハラと坂本デニムは、どちらも広島県福山市を拠点としています。福山市は江戸時代から続く文様を表す織物、備後絣(びんごがすり)の産地です。カイハラは元々、手織正藍染絣を製造し「マルス」という商標を掲げていた機屋ですし、坂本デニムも絣の藍染めの資料館を設立するなど、今なおその伝統的な技術を後世に伝えようとしています。

 

 絣の製造過程では、糸を芯まで染める「綛(かせ)染め」という手法を用いていたのですが、これをデニムに応用すると中白にはなりません。どうすればいいのか。

 

 カイハラの3代目社長・貝原定治氏は研究を重ね、アメリカでは糸をロープのように束ねて染色(ロープ染色)しているという情報を得る。そして、1954年に独自に開発していた「液中絞り」という絣製造の技術を応用することを考えます。

 液中絞りについては、定治氏を間近に見ていた4代目社長(現会長)・良治氏が中国新聞の取材(2018年10月19日朝刊)に、次のように答えています。

 

「水の中でタオルを絞り、揚げてみてください。表面に水は付いているけど、中にはあまり残ってないですね。これが液中絞りの仕組みです。この機械ができる前、手作業で糸を染料に漬け、揚げた後で絞っていました。かなりの重労働ですよ。染料は空気に触れると酸化して変色するので補充しなくてはいけません。液中で絞ると染料の消費量が大きく減らせます。特許を取り、愛媛、福岡県など他の絣産地にも売りました」

 

 定治氏はこの原理を活かして、ロープ染色機の開発に挑戦したのです。完成したのは1970年のこと。日本初のロープ染色機の完成までには、実に7カ月の時間がかかった。資金不足のため、染色機は工場の鉄骨の梁と一体だったとか。ともあれ、そこから本格的なデニム生地製造の足がかりを得たのです。

 

 初のロープ染色機の誕生によって日本初のデニム生地の生産が可能になり、生地メーカーや紡績会社からの注文が殺到。翌71年にはジーパン約30万本もの注文になったそうです。

 

 そして、1973年。ついにはアメリカのリーバイスから生地のオーダーが入る。カイハラは世界的なデニム生地メーカーとなりました。日本のジーパンの生地は、このようにして生まれたのです。

 

 

 以上、林芳亨氏の新刊『日本のジーパン』(光文社新書)をもとに再構成しました。日本ジーンズ界の重鎮である著者が、ジーンズの歴史や、日本における受容のプロセス、自身のブランドマネジメントまで縦横無尽に語り尽くします。

 

●『日本のジーパン』詳細はこちら

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