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信長は下呂温泉、秀吉は有馬温泉…戦国武将も入った名湯に浸かりたい!
ライフ・マネーFLASH編集部
記事投稿日:2021.12.11 20:00 最終更新日:2021.12.11 20:00
「武将にまつわる温泉めぐりは、城や古戦場を訪ねるのと同じ感覚で、私にとってライフワークです」
こう語るのは、『戦国武将を癒やした温泉』(天夢人刊)を上梓した、歴史紀行作家の上永哲矢(うえながてつや)さん。「そこは本当に武将たちの隠し湯だったのか?」の謎に迫るべく、さまざまな文献に目を通し、郷土資料を読み込み、現地を訪れた、「20年がかりの集大成」である。たとえば、こんな感じだ。
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織田信長と温泉を繋ぐ資料は存在しなかったが、平成に入って古文書が見つかり、そこには信長が天正6年(1578年)の春に、前田利家、木下藤吉郎(秀吉)らとともに、湯治をしたと書かれていた。
「信長は居城の安土城と京都を忙しく往来していたので、視察の帰りにでも飛騨の温泉に立ち寄ったのではないか。飛騨といえば下呂(当時は湯島)しかなさそうだ、という解釈になります。記録に加え、時代背景なども考慮します。武将たちが浸かった温泉で過ごすひとときは、得がたい体験ですね。隠し湯は、まさに歴史ロマンの宝庫だと思います」
戦国武将たちと裸のつき合い、してみない?
●徳川家康も入った熱海温泉
家康は熱海の温泉が大のお気に入りで、江戸まで15時間かけて運ばせていた。
「家康による温泉の宅配便(御汲湯)は、歴代将軍にも継承されました」(歴史紀行作家の上永哲矢さん、以下同)
●武田信玄も入った下部温泉
「武田信玄が許可証を発行し、温泉を大切に守ってきた証しである書状が残っています」
●伊達政宗も入った青根温泉
「約400年前に滞在した政宗。政宗が湯浴みしたと伝わる石風呂は今もそのままの位置にあって、もちろん源泉も同じ。のんびり戦国時代を偲びながらの入浴が楽しめます」
●上杉謙信も入った野沢温泉
謙信と信玄が都合5度も激突して北信濃の支配権を争った「川中島の合戦」。野沢温泉は武田方の勢力下にあったが、この戦いのあいだ、一時的に上杉軍の陣地になった。
「このとき、謙信の将兵が野戦病院として使ったり、謙信自身もつかの間の癒やしに利用していたとしても不思議はありません。『景虎(謙信)、野沢の湯に至りて陣を進め……』という書状も残っています」
●豊臣秀吉も入った有馬温泉
藤原定家、足利義満、秀吉や黒田官兵衛も入った歴史的な源泉がある。秀吉が有馬温泉に通ったのは公式な文書で9回。
「非公式を含めればもっと多いと思います。秀吉と有馬の関係は、幽閉され憔悴した官兵衛が有馬で治癒した効果に着目して始まったのかもしれません」
●織田信長も入った下呂温泉
平成3年に発見された古文書「羽渕家家系図」に、天正6年(1578年)春、木下藤吉郎(秀吉)、前田利家、森長可らを引き連れて湯治をしたと記録されている。
「信長は何度も命を狙われていたので、行動は秘密になり、湯治の記録があまり残ってないのかもしれません」(歴史紀行作家の上永哲矢さん)
※冒頭の写真は、特別に許可を得て、バスタオル、模造刀を使用しています