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芝居を始めて20年「平幹二朗に学んだ役者のエネルギー」とは
ライフ・マネーFLASH編集部
記事投稿日:2017.04.30 11:00 最終更新日:2017.10.17 17:15
ピンチはチャンス。そう信じてバイトをしながら演劇一筋に20年。役者に訪れた最大のチャンス、夢の舞台とは?
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ちょっとハスキーながらボリューム豊かな声、迫力のある大きな顔に図体。ヤンチャ坊主がそのまま大人になったような感じの神原弘之さん(42)は、一度見たら忘れられない個性派俳優の雰囲気を漂わせている。
「高校まで柔道をやってたけど、もうやりたくなくて……。勉強してないから受験も無理だと思って、専門学校に行くことにした。で、探したら日本映画学校というのがあった。俳優を目指すことは考えてなかったけど、まあおもしろいのかなぐらいの気持ちで、俳優科に入ったのが芝居を始めたきっかけ」
3年間演技を学び卒業となったが、学校が劇団や事務所を紹介してくれるわけでもなく、行くところがない。それで「卒業式後の飲み会で進路がないと騒いだら、講師をしていた劇団の先輩が、『劇団1980』を紹介してくれた」。
「入団したころは、劇団も旅公演を始めてけっこう忙しく、最初の4、5年は毎年旅があって、海外公演にも行った。あっという間に10年が過ぎて、気づいたらさらに10年たって、今は20年を越えた。劇団にいる年数だけはすごい。
役者を続けるために、生活費をバイトで稼ぐ。劇団では、仲のよかった先輩が舞台監督をするので、大道具に回された。大道具のバイトをする劇団の先輩たちも多く、その流れでバイトも大道具。
20歳過ぎから30歳ぐらいまではいつか売れて大道具もやめて、みたいな思いがあった。日本アカデミー賞とかありますよね、あれの赤絨緞敷いて、会場の設営をしたりする。本番中も裏から見て、若いころはいつかオレもあっち側に出るんだと思ってた。
でも、だんだんそこに行くなら行くし、行かないなら行かないと思うようにもなった。バーッと売れて金を稼ぐよりは舞台にずっと出られて、俳優としてやっていけるならいいなと思っていた」
役者と大道具の掛け持ちを続ける神原さんに大きな転機が訪れる。32歳のときだ。俳優の山口馬木也と舞台で共演した。
2歳年上の先輩で、肝胆相照らす仲となった。そして山口の紹介で、山口が所属する大きな事務所に入れてもらうことになったのである。
厳しい競争の世界で、新人でもない無名の劇団員が有名な事務所に入ることは難しく、破格のことだった。これによって神原さんには舞台、映画、テレビなど、出演の場を与えられるチャンスが広がった。
「山口さんのおかげで、劇団以外の舞台も映像もちょこちょこやるようになって、外を見られるようになった。それで、自分がどのくらいできてないかという現実に直面した。山口さんとは『お前、おもしろいな』から始まって、10年近くたって『お前、やべーぞ』となった。そうだなとは思うものの、辞めるという選択肢は出てこない」
40歳のとき。今度は芝居をするうえで夢のような転機を迎えた。事務所のプロモートにより、山口馬木也とともに名優、平幹二朗の『王女メディア』への出演が決まったのである。
出演者は男9人だけ。役どころは王女の子守役と土地の女の二役で、幸せなことに絶えず王女メディア役の平に絡んだ。舞台は一昨年の9月から昨年の3月まで、公演数はじつに全国96回を数えた。まさに役者冥利に尽きる、名優の演技を体感しながらの濃密な時間を過ごした。
「舞台に命をかけて、そのまま死んでもいいという圧倒的なエネルギーというか、存在そのものが平さんはすごかった。舞台裏では、80歳を過ぎて足を引きずって歩く平さんが、王女の衣装を着て舞台袖に立つと背筋がピンと伸びる。舞台では朗々たる声、動き、何もかもが高齢であることを微塵も感じさせなかった。
言い方は悪いかもしれないが、役者だとか人間を超えて怪物だなと思った。同じ舞台役者として、そのエネルギーを出せているかといえば到底できていない。平さんと共演して盗み、学んだことを、これから役者としてどう生かしていけるのか、また変わっていけるのか。平さんの芝居をいろいろ観てさらに学び、また機会があればと思っていた矢先の昨年10月、急逝されてしまった。
チャンスは来ると思っている。ピンチはチャンスみたいな思いでずっとやってきた。だからこそ平さんとも共演できた。これを役者として生かせなければもう終わりだなと思う。
本当は映画に出たい。若いころからずっと思っているが、知れば知るほど映像に行くのは怖いというか、びびるところもある。でも、びびっていても仕方がないし、平さんから受けたエネルギーをぶつけるためにも、その場に出てみたい」
濃い雰囲気の脇役が脚光を浴びる時代だ。神原さんの出番も近い。
(週刊FLASH 2017年5月2日号)