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「王将戦」第1局で見せた藤井聡太の「規格外すぎる強さ」と羽生善治の「飽くなき探求心」

ライフ・マネー 投稿日:2023.01.10 16:48FLASH編集部

「王将戦」第1局で見せた藤井聡太の「規格外すぎる強さ」と羽生善治の「飽くなき探求心」

終局後、感想戦で振り返る羽生九段(左)と藤井王将(写真・日本将棋連盟)

 

 五冠を保持する若き王者・藤井聡太王将が、全八冠制覇への道を歩み続けるのか。それともタイトル通算99期のレジェンド・羽生善治九段が、また新たな伝説を築くのか……。

 

 将棋史を代表する両者がタイトル戦で初めて相まみえる、第72期ALSOK杯王将戦七番勝負。その第1局は1月8・9日、静岡県掛川市・掛川城二の丸茶室においておこなわれた。結果は既報のとおり、91手で藤井が勝利を収めた。

 

 

「やっぱり最後は藤井が勝ったか……」

 

 多くの観戦者は、そう思ったかもしれない。

 

 新時代のヒーローである藤井はこれまで、多くのファンの声援を背に受けて戦ってきた。それはもちろん今回も変わらないだろう。一方でまた羽生も、国民的なスーパースターである。藤井と羽生、どちらも応援したいという人がほとんどだろう。

 

 しかし今回に限っていえば、あえてどちらに勝ってほしいかを尋ねるとしたら、それは羽生だという人のほうが多いように感じた。

 

 藤井はおそらく今後も、タイトル戦には出ずっぱりだろう。一方で羽生は、タイトル戦の番勝負からは2年、遠ざかっている。タイトル獲得のチャンスは今後、もしかしたらそう多くはないかもしれない。

 

 戦前の下馬評では、今シリーズ、藤井が圧倒するのではないかという声が多く聞かれた。

 

 50代を迎えてなお、王将リーグでトップクラスを相手に全勝を達成した羽生が、弱いはずがない。史上最年少の17歳で初めてタイトル戦の番勝負に登場して以来、11回連続制覇という、これまでの将棋界の常識では考えられなかった勝ちっぷりを見せている現在の藤井が、ただ規格外すぎるだけだ。

 

 まず注目されたのは、第1局開始前の朝におこなわれた振り駒だ。そこで先手番を引き当てたのは、藤井だった。

 

 テニスはサーブをする側が有利だ。それにたとえるならば、本局は藤井が有利な先手番を「キープ」できるかどうかという一局だった。

 

 藤井は今年度、本局が始まる前の時点で、35勝7敗という成績をあげていた。中でも先手番では20勝1敗、17連勝中だ。

 

 次に注目されたのは「ブレイク」をする立場の羽生が、どのような作戦を取るか。少なからぬ関係者は、羽生が「横歩取り」に誘導するのではないかと見ていた。現代のトレンドとして、横歩取りの後手番は、あまり勝率がよくない。その中で羽生は、比較的いい成績を残している。

 

 はたして。羽生が用意していたのは、ほとんど誰も予想していなかった「一手損角換わり」だった。これはもう、サプライズと言っていい。

 

 羽生の作戦については「奇策」という表現も見かけた。しかしそれは適切かどうか。

 

 1手遅れる後手番で、さらに1手損をして角を交換する手法は、20年近く前に指され始めた当初には、たしかに奇策とも見られた。

 

 しかし手損がかえって得になる順もしばしば生じるのが、将棋の奥の深いところ。だからこそ一つの戦法として確立したわけだ。羽生自身もその利点を認め、かつてはよく採用し、結果を残してきた。

 

 とはいえ、一部のスペシャリストを除いて、現在ではあまり指されない戦法であることも事実である。羽生は久しぶりの採用について、局後の記者からの質問で、次のように答えている。

 

「まあ作戦の一つとして、まだ可能性もあるのかなと思ったので。やってみることにしました」

 

 十分な成算があった上での選択ならば「奇策」ではなく「秘策」というべきかもしれない。

 

「相手の用意をはずそうという意図もあったのか」という記者からのストレートな質問に、羽生は次のように答えている。

 

「いや、そういうわけではないんですけど。まあ、いろんなことを試みる中の一環で、やってみました」

 

 飽くなき探究心によって、羽生はつねに自身をブラッシュアップし続けてきた。目の前に大勝負があったとしても、その姿勢はずっと変わらない。

 

 羽生の選択については、さすがの藤井も意表を突かれた。1日めから両者ともに長考が相次ぎ、互角の進行が続いた。

 

 序盤、中盤、終盤、どこを見ても藤井は強い。近年、序中盤に関してはコンピュータ将棋(AI)による研究が前提となっているが、この分野においても藤井はトップランナーだ。

 

 ブランド広告に出演している半導体企業のAMDからは最近、最新のハイエンドマシンの提供も受けた。筆者はその点について、対局前日の記者会見で藤井に質問した。

 

「性能も高いですし、非常に快適に使わせていただいています」

 

 藤井はそう答えていた。鬼に金棒というところだ。

 

 もちろん、AIによる序中盤の研究だけで勝負がつくわけではない。しかし、事前準備が深く広ければそれだけ戦いを有利に進める可能性が上がることも間違いない。

 

 羽生を応援する側がおそれていたのは、藤井の最新研究手順に入ってしまい、圧倒される進行だった。本局では少なくともそれは避けられたといえる。ならばあとは、持てる底力の勝負だ。

 

 2日めに入ってからも、両者の高度な応酬による中盤戦が続く。AIが示した、人間の目には難しそうに見える歩打ちを、羽生は当然のように指してみせた。一方で藤井は、タダで取られるところに銀を放り込む鮮烈な一手を返す。

 

 形勢が少しずつ離れ始めたのは、2日めの午後に入ってからだった。藤井は1時間の長考で、じっと自陣の桂を跳ねる。数手後、足の速い桂がさらに中段に跳ね出して、藤井はペースをつかんだ。

 

「仕方ない感じかなと思っていました」

 

 藤井はそう語っていた。しかしおそらくはこのあたりの順で、藤井のおそるべき底力が示されたと思われる。

 

 羽生からは王手をしながら、相手の金を桂で取る順があった。ある程度の実力がある観戦者ならば、まず目につく手だ。

 

 羽生はあえてその手を指さず、じっと自分の銀を逃げた。AIが示す評価値だけを見れば、結果としてはそこでさらに差がついたことになる。しかしこのあたりの指し回しもまた、羽生らしさが出ていたのかもしれない。

 

「あの局面はもうダメだと思うんで。ちょっとその前に、なにかあるかっていうことだと思います。なにが悪かったか、調べてみないとわからないです」

 

 羽生はそう語っていた。観戦者から見て「もうダメ」と思われる局面から、羽生は数々の奇跡的な逆転劇を演じてきた。本局に関しては、藤井が完璧すぎたということだろう。

 

 羽生は自玉が受けなしに追い込まれたあと、角を打って藤井玉に王手をかける。藤井は持ち駒の銀を打って、王手を防いだ。

 

 将棋では金銀の数は合わせて8枚ある。藤井玉の周りにはそのうちの5枚が集結しているかっこうだ。こじつければ、八冠のうち、五冠を集めている藤井の姿に重なるといえるかもしれない。

 

 藤井玉に詰みはない。羽生が投了を告げて、世紀のシリーズのファーストラウンドは終わりを告げた。

 

 羽生の側に明確な悪手があったわけではない。ではどうしてこの結果なのか。それはやはり、藤井がおそろしく強かったという、一語に尽きるといえそうだ。

 

 サッカーのワールドカップでは、日本代表は強豪のドイツ、スペインを相手に、下馬評では圧倒的に不利と言われた。さらに試合が始まると、先制点を許した。やっぱりドイツもスペインも、おそろしく強かった。そこで「やっぱりダメか」とあきらめて見るのをやめてしまった人は、同点、そして逆転の感動をリアルタイムで味わうことはできなかっただろう。

 

 王将戦七番勝負はまだ第1局が終わったばかりだ。勝負は次の第2局だろう。先手番となる羽生が勝てば、まだまだシリーズのゆくえはわからない。

 

 藤井はこれで先手番18連勝だ。一方で羽生が1989年に打ち立てた、先手番28連勝という途方もない記録はまだ更新されていない。

 

 当時19歳で、当たるべからざる勢いだった羽生の先手番連勝を止めたのは、66歳の大山康晴15世名人だった。

 

 将棋界は立場を変えて歴史が繰り返されるところだ。かつては年少者として多くの記録を作ってきた羽生は、年長者として記録を作る側、そして年少者の記録更新を阻止する側に回った。

 

 もしまた歴史が繰り返されるのなら、かつての大山のように、羽生が「ブレイク」で藤井の先手番連勝を止める可能性もあるのかもしれない。

 

「天下の羽生善治ならなんとかするんじゃないか。そのひと言に尽きます。それはおそらく私に限らず、我々、同年代の棋士の率直な気持ちですし『そうあってもらいたい』という願望もあります」

 

 開幕前に、森下卓九段はそう語っていた。一将棋ファンとして、羽生が10代のころからずっと棋譜を見続けてきた筆者もまた同感である。藤井と羽生、できるならばどちらにも勝ってもらいたい。しかしそれがかなわぬのが、将棋界というところだ。引き続き、歴史に残る名局を期待したい。

 

(文・松本博文)

( SmartFLASH )

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