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岩手で被災、脱サラ無職からプロ棋士に!小山怜央新四段が“非エリートの星”になるまで

ライフ・マネー 投稿日:2023.02.26 06:00FLASH編集部

岩手で被災、脱サラ無職からプロ棋士に!小山怜央新四段が“非エリートの星”になるまで

小山怜央新四段と御徒町将棋センター」の常連たち

 

 将棋界に異色の新人棋士が誕生する。プロ編入試験に合格し、4月1日付で四段となる小山怜央さん(れお・29)だ。彼が大学時代から通う「御徒町将棋センター」を訪れると、険しい顔で対局に臨んでいた “クセ者” 常連らも、彼を拍手で讃えた。

 

 プロを目指し、27歳で大手企業退職。貯金を取り崩して生活し、崖っぷちから夢を掴んだ。棋士養成機関である奨励会を経験せずプロになったのは、小山さんが戦後初。その素顔は、挫折と困難を苦にしない “非エリートの星” だった。

 

 

「 “無職” って、職業欄に書いたときは悲しかったです」

 

 会社を辞めて、アマ棋戦の全国大会に出場した際のことだ。編入試験への第一歩は全国大会で上位入賞し、プロ棋戦への参加資格を得ること。そこで、プロを相手に勝ち星を積み重ねて、初めて受験資格を得られる。きわめて高いハードルだ。

 

「会社ではシステムエンジニアとして、仕事に全力を注いできました。辞めると伝えたときは、誰にも止められませんでしたけどね(笑)。上司や両親は『夢があるなら頑張って』と、背中を押してくれました」

 

“脱サラ” から受験資格を得るまでに1年半、合格までにさらに5カ月かかった。地元の岩手県を離れて、今でも神奈川県で一人暮らし。将棋の浪人生活をこう振り返った。

 

「研究会に参加する予定を入れて、スケジュールを空けないようにしましたが、それでも一人の時間の使い方が課題でしたね。長時間の勉強は精神的にも肉体的にもキツい。AIでの将棋研究は、何時間やっても何も進まないことがある。そんなときは根を詰めずに、気晴らしにゲームをやったりしました。そうしないと、自分はもたないと気づいたので」

 

 自分の性格を「マイペース」と語る小山さん。岩手県で育ち、小学生で弟と将棋に夢中になった。両親は兄弟のために、他県での大会にも車で送ってくれたという。そんな一家を東日本大震災が襲った。

 

「高2のときでした。家族は無事でしたが、家を流され4カ月間の避難所生活を送りました。そんなときに支えになったのが、家族と将棋。将棋大会で知り合った人たちが避難所にお見舞いに来てくれて将棋を指したり、夜は父親がパソコンを貸してくれて、ネット対局に励みました」

 

 プロへの挑戦は今回が初めてではなく、棋士養成機関の奨励会を二度受験したが不合格。プロへの道を諦め、大学卒業後は一般企業に就職。仕事のことで頭がいっぱいで、一日に30分しか将棋を指せないときもあったが、休日はアマ大会に出場してきた。

 

 長くアマ棋戦の運営に携わってきたライターの宮田聖子さんが、小山さんのすごみを語る。

 

「棋士になる子の多くは小・中学生で奨励会に入るので、それ以降に、アマの大会には出場できない。小山さんは小、中、高、大、社会人とアマの大会に出場してきた。こんな経歴を持つ棋士はいません。彼がすごいのは、震災でも、受験、就職を経ても、休むことなく将棋を続けてきたことです。しかも、それを本人は特別なことだとは思っていない。子供のころに彼より強くても、途中で辞めてしまった子はたくさんいました」

 

 現在、プロ将棋界では、藤井聡太五冠を筆頭に、若手棋士の台頭が目覚ましい。やはり目標は、打倒・藤井五冠?

 

「藤井五冠は別次元の人ですね(笑)。まずは棋士として結果を残して、順位戦に参加できるようになれれば」(小山さん)

 

 遠回りをしてきた男が、ついに天才たちと同じ土俵に立つ。 “非エリート” の活躍はこれからだ。

 

写真・野澤亘伸

( 週刊FLASH 2023年3月7日号 )

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