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なぜ行進は左足から始まるのか…日本では1拍目と2拍目の強弱は根本から間違っていた!

ライフ・マネーFLASH編集部
記事投稿日:2024.01.26 11:00 最終更新日:2024.01.26 11:00

なぜ行進は左足から始まるのか…日本では1拍目と2拍目の強弱は根本から間違っていた!

写真はAC

 

 行進という集団行動は、17世紀、トルコ軍が金管楽器や太鼓でやたらに大きな音を立て、敵を威嚇しながら進軍したのが始まりらしい。が、その後ほとんど間を置かずに、西ヨーロッパの軍隊にも音楽を伴った「行進」という集団行動が広まった。

 

 そしてそれは、バロック以降の西洋音楽の特徴をある意味、端的に捉えている。行進曲はすべて2拍子である。そして、世界中の軍隊、消防隊、警察隊、そして学校などなど、すべての行進を行う団体は必ず、例外なく行進を左足から始める。

 

 

 そこに私は素朴な疑問を持った。行進では、静止した状態から右足でまず強く地面を蹴り、その推進力をもって左足が前に出る。ヒトの多くは右利きだから、利き足も右だ。だから強く蹴る足を右足におき、その結果左足から行進が始まることになる。ここまでは、すんなり納得できた。

 

 が、次の瞬間大きな疑問が膨らむ。では、なぜ強く蹴る右足を弱拍である2拍目におくのか。1拍目が強拍なら、強く蹴る右足は1拍目に置くべきで、それなら、行進は右足から始めるべきではないのか。

 

 しかしヨーロッパでは、もう3世紀以上、行進は左足から始めている。左足から行進を始めるという、現在も続く世界共通となっている動作に、誤りがあるのだろうか。何かがおかしい。

 

 そこで、2拍子において、1拍目が強拍、2拍目が弱拍という前提を逆にしてみる。つまり、2拍目が強、1拍目が弱。そうすると、何の問題もなく前奏の最後の2拍目を右足で強く蹴って、行進曲の1拍目に左足から第一歩を踏み出すことができる。

 

■downbeat と upbeat

 

 1拍目もしくは表拍を downbeat、2拍目もしくは裏拍を upbeat という。そして我々は表拍(downbeat)が強、裏拍(upbeat)が弱と習ってきた。きっと今この瞬間も、日本中の音楽の授業ではそのように教えていることだろう。

 

 結論から言うと、西洋音楽で、downbeat が upbeat よりも強いと考えることは、間違いである。日本の学校教育で習った、2拍子における、強弱・強弱という拍子感覚や、4拍子における強・弱・中強・弱といった拍子感覚はバロック以降の西洋音楽を演奏するなら、すべて完全な間違いである。

 

 2拍子も4拍子もすべて、upbeat が強い。これは西洋音楽のみならず、ジャズ、ロックにも共通している。

 

 読者の中には、one Two, one Twoと upbeat(裏拍)が強くなるのはジャズやロックだけの特徴だと思い込んでいる人が多いだろうが、再び結論を先に言ってしまうと、そんなことは原理的にあり得ない。なぜならジャズもロックもその基礎はすべてバロック以後の西洋音楽だからである。

 

 その西洋音楽の本質に強い upbeat が組み込まれていたから、それをジャズもロックも継承したに過ぎない。

 

■ジャズ、社会変革が残していった甘美な果実

 

 ジャズは19世紀中頃米国で始まった音楽だ。

 

 それは、黒人の奴隷たちが、南北戦争で軍隊が撤退した後、戦場にいくつも捨て置かれた楽器を拾って始めたものだという、かなり伝奇的な発生説から、黒人の裕福な歯科医の家に生まれた少年が、セントルイス交響楽団の首席トランペット奏者を師にもつジャズ演奏家(Elwood Buchanan)から初歩の手ほどきを受け、後に20世紀を代表するジャズトランぺッターになったというマイルス・デイヴィス(Miles Davis)の実話まで、とにかく、西洋音楽の介在なしに、ジャズは生まれてこなかったのだ。

 

 よく、アフリカ系の人々の持つ音楽のリズムが upbeat だなどという人がいるが、疑問である。アフリカの民族音楽はもっと複雑な、採譜するのも厄介なほどの複合リズムで、one Two, one Twoなどというような規則性を持たない。

 

 彼らの持つ奔放な複合リズムをかっちりとしたone Two, one Twoの upbeat にはめ込んだのは、あくまでもバロック由来の西洋音楽である。

 

 アフリカ系の黒人の音楽性がジャズに寄与しているのはむしろ、彼らの、旋法による歌の中にある、西洋音楽の和声ではフォローしきれないハーモニー感覚だ。そこからブルースが生まれた。

 

 和声という音の色彩のパレットをいくつも持っていた、名前を挙げていけばきりがないくらい存在するヨーロッパの大作曲家の誰も、19世紀に、このブルースの音の並び「ブルーノートスケール」で作品を書いていない。

 

 ジャズが、アフリカ系黒人奴隷たちが歌っていた旋法による歌(黒人霊歌や民謡)と西洋音楽との融合で、その始まりが南北戦争直後の1860年代末頃の事だとすれば、それは、日本の演歌が生まれた時期と図らずも一致する。演歌も日本の民謡などの旋法による音楽と西洋音楽の合体から生まれたジャンルなのだ。

 

 西洋音楽も中世の1000年間は旋法の音楽であったのに、バロックになってそれを完全に払拭したことで、大きく発展した。その西洋音楽が、300年近く経って、今度は「旋法との融合」を試みる。

 

 しかしそれは、誰かが始めたというような、特定の作曲家の主導ではなく、南北戦争や明治維新といった、巨大な政治的社会的変革のいわば副産物として生まれた。新しい音楽ジャンルであるジャズや演歌の誕生がそれにあたる。

 

 では、ロックはどうなっていたのか。

 

■Rock’n’ Rollとケルト音楽

 

 ロックミュージックも、第二次世界大戦という大きな社会変革の後に生まれた。ロックは、戦後、英国やアイルランドのケルト文化の中にある、やはり旋法を基調にする歌から始まった。ザ・ビートルズもローリング・ストーンズもケルトの音楽抜きには生まれなかっただろう。

 

 しかし、ケルト音楽に影響を受けた、というか、ケルト音楽に着目したのはヨーロッパで彼らが初めてではない。ここでも西洋クラシック音楽は敢然と屹立している。

 

 J・S・バッハと同時代人で、したがってザ・ビートルズが生まれる250年以上も前に生まれ、4000曲ともいわれている全作品の校訂がいまだに終わっていないG・P・テレマン(Georg Philipp Telemann)も、ケルトのリズムや旋律を使った作品を、軽やかな upbeat に乗せて残している。

 

 またベートーヴェンにも、ケルト音楽をふくむ多数のヨーロッパ民謡のピアノ曲へのアレンジがある。そしてベートーヴェンの音楽はすべて徹頭徹尾強い upbeat だ。

 

 交響曲第5番【運命】の冒頭は弱拍(upbeat)で始まる。あの強烈な開始の音楽が、ベートーヴェンの頭の中では8分休符をひとつ置いた後の upbeat で鳴っていたのだ。【運命】はその冒頭のリズムが1楽章の終わりまで、まるで石が急坂を転がってゆくように、502小節の間とぎれることのない upbeat で続く。まさに rolling stones とはこのことだろう。

 

 日本人ミュージシャンが「ロックンロールだぜ」などと粋がっている様子は、いささか滑稽である。すでに200年以上前から、彼はスウィングしていたのだ。

 

■意外に upbeat な軍歌と演歌

 

 ジャズも演歌もロックも旋法と西洋音楽の融合であると述べた。そして、それゆえに元来が upbeat である西洋クラシック音楽の特質をそっくり受け継いで、ジャズもロックも upbeat で奏でられてきた。

 

 では、西洋音楽との和洋折衷である軍歌や演歌はどうなのだろう?
胸騒ぎを抑えながら聴いてみた。なにしろ、演歌も、まして軍歌など我が家でかかったことはないのだ。

 

 まったく新しい発見があった。まず演歌は驚くほど upbeat が多い。伴奏にビッグバンドや弦楽器を従えていることもおそらく影響しているとは思うが、楽曲そのものが、ベートーヴェンの運命の出だしのように、休符で始まることが多いのである。

 

 同様に日本の歌謡曲というジャンルもまた upbeat が多い。それを我々は聴き逃している。半世紀以上前、橋幸夫と吉永小百合のデュエットでヒットした「いつでも夢を」(佐伯孝夫作詞 吉田正作曲)が毎フレーズ休符で始まることに気づいている人がどれほどいるだろうか。軍歌に至っては、ほぼすべてが upbeat で歌われている。

 

 しかし考えてみればそれは当然かもしれない。行進は左足で踏み出す、その動きと音楽との連動を担保しているのが upbeat なのだ。そしてやはり、そのような拍子感の対極にある地歌で行進はできないのである。

 

 このように、日本の音楽教育が根本から間違っていたことがわかるのだ。

 

 

 以上、森本恭正氏の新刊『日本のクラシック音楽は歪んでいる 12の批判的考察』(光文社新書)を元に構成しました。作曲家・指揮者として活躍する著者が、日本の音楽教育の根本的な誤りを喝破します。

 

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