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人生の転機は「イラクで見た子供たちの笑顔」今は役者に夢中

ライフ・マネーFLASH編集部
記事投稿日:2017.11.16 11:00 最終更新日:2017.11.16 11:00

人生の転機は「イラクで見た子供たちの笑顔」今は役者に夢中

 

 1匹の小さな黒猫との不思議な出会いが、その後の五十嵐昇さん(43)の人生を導いた。北海道の凍てつく冬の夜中に、猫が部屋の窓の外で鳴くことは、それまで一度もなかった。子猫を部屋に入れてミルクをあげたあと、猫が帰るかもしれないと思って窓を少し開けたままにした。

 

 それで風邪を引き、40度の高熱が出た。2日後に推薦を受けた大学の入学試験を迎えたが、熱は引かなかった。家のある滝上という小さな町から札幌の入試会場までは、バスで旭川に出てそこから列車という長旅だ。試験も面接も朦朧とした状態で受けた。結果は明らかだった。

 

「小中高と体育会系。運動なら負けない自信があった。大学に落ちて就職先を探さなければと思っていたときに、自衛隊に入った同級生に、『お前なら体力もあるし、自衛隊がいいんじゃないか』と言われた。それで試験を受ける気になった。希望した空自、海自はどちらもいっぱいで、一人だけ枠が残っていた陸上自衛隊に入隊した」

 

 高卒で入隊すると二士からキャリアがスタートする。その上が一士、士長。次の三曹には一次、二次の試験と半年間の教育を受けて上がる。三曹から二曹は、いちばん早い人で4年、なかには10年かかる人もいる。

 

「僕は運よく4年で二曹になり、同期より早く昇進した。所属は北千歳駐屯地の地対艦ミサイル連隊。地上から敵の船に向かってミサイルを撃つ。海外での訓練に参加したこともある。連隊では射撃班長をやったりしていた」

 

 15年に及んだ五十嵐さんの自衛隊でのキャリアで、特筆すべきは第一次イラク復興支援の隊員に選ばれ、連隊を代表してサマワに派遣されたことだ。

 

 担当は広報で、選ばれた1週間後には防衛省内の映像関係の部署に行き、撮影方法や専門的な知識、そしてアラビア語を学んだ。イラクに出発したのは2004年3月、29歳のときだった。

 

「仕事は支援活動の撮影がおもで、常にいろいろな現場に行くことができた。攻撃を受けた施設、爆弾で開いた穴、病院では腕を失くした少女、日本では見られない戦争の爪痕をいやというほど見た。

 

 サマワは貧富の差も激しい。でも貧しい子供たちはとても元気で、目を輝かせて水をくれとか、写真を撮ってくれと近寄ってきた。笑顔がたまらなくよかった。子供たちのパワーを感じたときに、僕の人生、自衛官のままでいいのか、もう一度見つめ直すべきではないかと思った」

 

 サマワでは常に危険が身近にあり、それも人生を考えるきっかけとなった。迫撃砲弾が宿営地の近くに落ちたことは日本でも報道されたが、それを目撃した。

 

「トイレに行くとき、ボンと聞こえた。音のしたほうを見たら、次の砲弾が飛んでくる光が見えて、すぐ避難した」

 

 サマワの第一次復興業務支援隊長は髭で有名な佐藤正久一佐。広報で一緒に仕事をし、ドライバーにも任命された。

 

「佐藤さんは自衛隊を辞めて国会議員になられた。立場は違うが、僕も辞めて違う世界へ進みたかった。辞めるとき挨拶に伺ったが、いつでも相談に乗るよと、軽く背中を押していただいた」

 

 五十嵐さんは現在、俳優兼ミリタリーアクションの指導をおこなっている。2008年に自衛隊を辞めた後、格安で譲ってもらったバーを千歳市で2年経営。その間に、役者になりたいと思うようになった。

 

 上京後、劇団昴に入り、北村総一朗のドライバー兼現場マネージャーとなる。その後、ミリタリーアクションの事務所へ。役者を経験し、演じる楽しさを知ると、育てることにも興味がわいた。

 

 3年前に独立。現在は『ドクターX』に端役の医師の一人として出演中だ。

 

「今の仕事は性に合っていて続けたい。結果が出なくても納得する。楽しいと思えるなら常にやっていきたい。43歳でこんなに夢を語れるのはいい」

 

 ちなみに五十嵐さんの座右の銘は、「死ぬまで青春」である。
(週刊FLASH 2017年11月28日号)

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