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抱えた借金を商品販売で返済した男「野球部での挫折が教訓に」

ライフ・マネーFLASH編集部
記事投稿日:2018.01.11 06:00 最終更新日:2018.01.11 11:14

抱えた借金を商品販売で返済した男「野球部での挫折が教訓に」

『写真:AFLO」

 

 趣味のゴルフのハンデは6である。仕事に余裕ができた39歳のときに本格的に始めた。過去にトップを目指した野球で挫折して後悔した経験があり、それがのどに刺さった小骨のようにずっと気になっていた。もう1回やり直して、今度こそトップになりたいと考えた。

 

 とはいえ年齢的に野球は無理で、バットをクラブに替えたのだ。白石勝範さんは福島県いわき市の出身。野球にこだわるのには理由がある。

 

「福島県出身の野球選手で有名なのは、巨人で活躍した中畑清さん。中畑さんの出身校が、当時強かった安積商業高校(現帝京安積高校)です。そこに入れば甲子園に行ける、そうすればプロ選手への道が見えてくる。

 

 じつは中学生のときに交通事故で父を亡くしました。プロの選手になって早く稼ぎたいという思いがありました。母子家庭で貧しかったので、母に経済的な負担はかけられない。でも行きたい学校は私立です。そこで、授業料全額免除の特待生の試験を受けて合格しました」

 

 野球部に入った。夢に一歩近づいたことで、来る日も来る日も練習に励んだ。しかし、周りは県下の選りすぐりの生徒ばかりだった。レギュラーの道は遠かった。そして、挫折した。1年生のとき学校をやめた。

 

「一緒に練習した仲間が3年生のとき、県大会で優勝して甲子園出場を決めました。根性がなく挫折してしまったことを悔やんだし、ショックでした。取り返しのつかないことをしてしまった。

 

 しかしそれが、嫌なことから逃げるとさらに悪いことを招くという教訓になり、仕事で嫌なことや、辛いことがあっても頑張れたところがあります」

 

 高校を中退し、別の高校に入った。不良仲間ができ、とことん悪くなりそうな瀬戸際で思いとどまった。再度中退して就職活動。将来性のありそうな会社に自ら売り込みに行った。

 

 その結果、プラスチック製造会社が採用してくれた。そこで上司に鍛えられ、営業能力が開花した。500万円だった取引額を一気に数倍に伸ばし、有名企業を新規開拓するなど数々の実績を作った。

 

「人は寝なくても死なない」を実践した猛烈サラリーマンだった。ところが会社を儲けさせても給料が上がるわけではなかった。23歳で脱サラをして起業した。

 

「2年間、販売の仕事に携わりましたが、取引先の倒産で大きな借金を抱えてしまいました。返済するために仲間と飲食店やクリーニング店、運送業のようなことをしました。それぞれ利益は出ましたが、返済には足りませんでした。そんな折りに紹介されたのが、やはり商品販売の仕事。29歳のときで、これが転機となりました」

 

 営業には自信があったが、借金で信用を失っていた。それを回復することから始めた。サラリーマン時代に築いた人脈を再構築した。商品を広く知ってもらい、商売が成り立つまでに数年を要した。

 

 そこから軌道に乗りはじめ、借金も返せるようになった。ゴルフを始める余裕もできたのだが、中断を余儀なくされた。2011年3月、東日本大震災と福島第一原子力発電所の事故が、いわき市を襲ったのだ。

 

「とくに30キロ圏内の住民の避難勧告が出て、お得意様が全国に散らばってしまいました。どうしようか途方に暮れていたとき、製造元や周りの皆さんが協力してくれて、再出発の力を与えてくれました」

 

 あれからもうすぐ7年が経つが、白石さんは順調に成績を伸ばしている。たび重なる挫折からトップを目指し続けた結果でもある。

 

 さてゴルフだ。2017年、福島県のアマチュアサーキット戦で15位に入り、2018年の東北アマチュアゴルフ選手権の出場資格を得た。

 

「今、仕事が忙しくて練習ができないし、強敵揃いで上位に行くのは難しい」と弱気だ。しかし白石さんのことだ、トップを目指して全力を尽くすことだろう。

 

(週刊FLASH 2018年1月16・23日合併号)

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