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どうする!サマージャンボで当たった2億円…5年で2万軒食べ歩いたら「残金200万円」に【宝くじ当せん後の人生】
ライフ・マネーFLASH編集部
記事投稿日:2024.12.19 06:00 最終更新日:2024.12.19 06:00
ある日突然、大金を手にした男たちは幸せになれたのか。宝くじ「高額当せん者」に、“その日” 以降を振り返ってもらった。
「当時の僕は、食べ歩きが趣味の、ただの大学生でした」
と話すのは、フレンチレストラン「Bon.nu(ボニュ)」(東京・参宮橋)のオーナー、来栖けいさん。当時は1円単位で節約しながら、外食する日はレストランなどを10軒近くハシゴし、数万円を使うという極端な日々を送っていた。
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ある日、住んでいた神奈川・戸塚の道を歩いていた来栖さんは、電車の回数券を拾った。届けなくてはと思いながらも、「これで東京へ行けるじゃん」と、つい改札を通ってしまう。
「この日は、特に予約している店もなく、何をしようかと考えたときに舞い降りてきたのが、宝くじだったんですね。当時、新橋駅の烏森口の宝くじ売場がめちゃくちゃ当たると言われていて、僕の中では宝くじ=烏森口でした」
売場に着いたが、買い方がわからない。窓口に並んでいた人のまねをして、サマージャンボを「バラ10」と注文。その1枚が、1等2億円の当せんくじだった。
「番号を確認したら、もう頭が真っ白。すでに夜だったので、その日は寝るしかありませんでした。翌朝起きて、 “夢じゃないか” と、もう一度確認しましたね。当たりくじ1枚だけをカバンに入れて、そのカバンを別のカバンに……と何重にも包んで、肩から斜めがけにして銀行に行きました」
このとき20歳になったばかりの来栖さんは、銀行の応接室に通された。
「『お金は大切に使ってください』と諭されたのを覚えています。でも、僕は食べ歩きに使うこと以外は発想がありませんでした」
もともと外食する日は1日に10kgほど食していた来栖さんは、2億円の資金をもとに、食べ歩きを加速させた。
「このころはまったく人に会いませんでした。宝くじに当たったことは親にも言っておらず、毎月の仕送りも、そのままもらっていました(笑)」
“一人で来て異常な量を食べる変なヤツ” の噂はすぐに広まり、ある日、出版社から声がかかる。こうして2004年、25歳で発表した書籍が『美食の王様』(筑摩書房)だ。
「この本を出したときに、仕送りで食べられる金額ではないと、宝くじが当たったことが母親にバレました(笑)。2万軒食べ歩いて、本の発売日に銀行の残高を調べたら、200万円しか残っていませんでした」
来栖さんは29歳で “食べ手” を引退。現在の店の前身となるレストランを開いた。
「奇抜な組み合わせさえすれば、『すごい料理だ』といわれるような風潮に違和感があったんです。素材を生かしたシンプルな料理を、世に伝えたい。それが僕の使命だと思っています」
来栖さんが2億円当せんしたことをカミングアウトしたのは40歳のとき。30代最後の夜に宝くじのことを思い出し、朝起きると神様に「言え」と言われたと笑う。
「たまに『別の使い方があったんじゃないか』と言われますが、まったく後悔はありません。お金があって時間があって食に興味があって、1日10kgを食べることができた経験が、今の店につながっていますから。お客様から誕生日に宝くじをよくいただくんですよ。でも当たったことはないですね(笑)」
写真・金谷千治