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仕事も結婚も当たり前だったのに、いまや “贅沢品”…男性のアイデンティティ形成はホントに難しい!

日本人男性を象徴する語といえば、一時期は「サラリーマン」でした。サラリーマンと聞くと、どのような人を想像するでしょうか。「ビジネスパーソン」や「会社員」とも違い、サラリーマンという言葉には、「雇用主から固定給を得て生活する者」以上の意味が込められているように感じます。
現実をみれば、サラリーマン像が男性のリアルと合致していたわけではありません。「正社員になり定年まで勤めあげる」男性は、1950年代生まれで34%、1980年代生まれで27%しかいませんでした。
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それでもサラリーマンは、「日本男性を象徴する」存在ではありました。そうした状況でサラリーマンとセットになったのが、「(専業)主婦」の存在でした。
サラリーマンが仕事中心の生活を送るためには、それを支える主婦が欠かせません。「夫が外で働き、妻は家庭で家事・育児」という強固な性別役割分業は、高度経済成長期に定着しました。
といっても、育児はいつまでも続くわけではありません。子どもが成長すれば、女性がいつまでも母親役割を担う必要はなくなります。こうして、主婦のライフサイクルに特有の問題が生じます。
それが、女性たちの「中年期の危機」です。戦前の女性の生き方とは違って、子育てを終えた後の人生をいかに過ごすか、という新しい課題が出てきたのです。
もちろん、さまざまな制約と選択のうえに主婦を続ける女性も多かったわけですが、再就職や、社会活動を通した自己実現をする女性も生まれました。
ただし、それは夫に対して生き方の変更を迫るものではなかったので、あいかわらず大半の男性は仕事中心の生活を続けました。その結果、男性学では、「平日昼間問題」が問題視されてきました。
これは、大人の男が平日の昼間にうろついていると怪しまれる状況を言い表しています。それくらい、男性は出社して働いているのが当たり前だと思われていて、それが問題だということです。
男性も家事や育児(さらに介護)をしようというメッセージは増えましたが、だからといって、「主夫(=男性の主婦)」の地位が上がったわけではありません。男性が「主夫です」と自己紹介しようものなら、大抵の相手は、何か聞いたらまずいことを聞いてしまったという顔をします。
仕事以外にも、男性が直面しがちな問題があります。身近な女性との関係性です。とりわけ男性にとって、20世紀後半から次第に問題となったのは、夫婦の熟年離婚でした。
「熟年離婚」という言葉そのものは、2005年に放送されたテレビドラマのタイトルで使われて有名になりました。20年以上連れ添った夫婦が中高年以降に離婚することを指します。男性の定年退職のタイミングで離婚に至る場合は、「定年離婚」ともいいます。
仕事一筋で生きてきた男性にとって、熟年離婚はまさに不測の事態でした。
ようやく定年退職して妻とゆっくり老後の生活を送ろうと思っていたのに、妻は全くそのような生活を望んでいなくて、まさか別れを切り出されるなんて。それまで妻が不満を溜めてきたことに夫が気づけず、妻のガマンに甘えてきたために起こる、すれ違いです。
定年退職を機にした熟年離婚が男性側の「問題」になった理由は、大きく2つあります。
第一に、この熟年離婚そのものが新しい出来事だったからです。
人類の寿命が短かった時代には、まだまだ働き盛りの時期に亡くなっていくという生涯が当たり前で、退職後の生活がそもそも存在しませんでした。だから、生きている間に仕事と妻を同時に失うことなど、心配する必要がありませんでした。
また、かつては中高年男性の多くが自営業主であったり家業の従事者であったため、「現役」から「引退期」への移行も比較的ゆるやかで連続的なものでした。仕事における一律の「定年」が一般的ではなかったため、定年と同時に離婚に至る定年離婚も考えにくいものだったというわけです。
とはいえ現代では、平均寿命が男女ともに80歳を超え、年齢に差こそあれ、定年退職もごく一般的です。このまま長寿化が進めば、熟年離婚はなおさら当たり前になっていくでしょう(最近の調査では、2022年に離婚した夫婦のうち、同居期間が20年以上だった「熟年離婚」の割合は23.5%でした)。
第二の理由は、男性にとっての女性関係が、仕事と並んでとても比重の大きい関心ごとだからです。熟年離婚の場合、女性関係と仕事と、その2つの関心ごとが一度に失われることになるので、男性が受ける衝撃は極めて大きいのです。
さらにいえば、熟年離婚によって男性が失うのは、仕事と妻だけとは限りません。
アメリカの心理学者トーマス・ジョイナーは、男性が孤独死に向かいやすい背景として、既婚男性の場合、「妻に圧倒的に依存したつながり」をもつことによって、自分自身はさほど努力しなくても、人間関係に恵まれているかのように現実をやり過ごせることが大きいと指摘しています。
そんな既婚男性が離婚した場合、妻と別れるのみならず、妻のおかげで交際できていた友人や知人とも疎遠になります。そこで本格的に、男性は独りぼっちになってしまうのです。
ここでも、主婦の存在を前提にしたサラリーマンの働き方と同様に、無自覚なまま妻に依存する男性の生き方が問題となっています。望まない孤独を避けるには、人間関係を維持したり新しく作ったりする努力が欠かせません。
このように、熟年離婚は「仕事と女性関係を得た後に、いっぺんに失う」経験といえます。
他方で現在では、その両方を、望んでいても得られない男性が増えています。非正規雇用や無職の男性、結婚したくてもできない男性……。一昔前は「仕事して結婚して」生きていく男性像が当たり前だったのに、それがある種の「贅沢品」になったため、男性のアイデンティティ形成が難しくなってきたといえるかもしれません。
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以上、周司あきら氏の新刊『男性学入門 そもそも男って何だっけ?』(光文社新書)をもとに再構成しました。男性たちは、いかにして「男性」として存在させられているのか? 歴史的・文化的・社会的な規範に縛られた男性のあり方を考えます。
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