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「パルコ文化」の王道を歩んできた男が退職して迎えた転機

ライフ・マネーFLASH編集部
記事投稿日:2018.02.22 16:00 最終更新日:2018.02.22 16:00

「パルコ文化」の王道を歩んできた男が退職して迎えた転機

 

 入社して5年間。パルコ文化の生みの親から仕事の考え方、やり方の全てを学んだ。

 

「ビジネス的にいえばパルコを辞めて伊勢丹に入ったとき、そして伊勢丹を辞めたときが転機になるのかな?」と語るのは柴田廣次さん(57)だ。

 

 柴田さんは、筑波大学在学中はバンド活動をしていた。プロを目指すつもりはなかったが、ニッポン放送の全国大学バンドコンテストの決勝大会に出場したときは、一瞬プロも……と思った。

 

 ちなみに音楽サークル仲間の葛城哲哉さんは、小室哲哉のTMネットワークのレコーディングとツアーのギター担当である。

 

「僕の人生でのいちばんの転機は、パルコに入社したことと、増田通二社長(1926〜2007)に出会ったこと。高校まで郡山で大学は茨城なので、渋谷パルコなんてまったく知らなかった。

 

 就職先もゼミの先生の紹介で決まっていたが、就職活動中の友人の部屋に行くとパルコのパンフレットが置いてあった。『パルコって?』。彼に教えてもらった」

 

 劇場もあるしいいなあと思い、記念に受けてみる気になった。それが人生を変えた。6次まであった試験の最後、社長面接も通った。それで、ゼミの先生に相談するとあっさり「パルコに行けばいいじゃないか」。

 

「1983年4月1日に入社し、SP部へ配属になった。セゾングループに、パルコという新しい専門店業態を作ったのが増田通二さん。セゾングループの堤清二代表(1927〜2013)が東大の同級生だった増田さんに声をかけてまかせた。

 

 僕が増田社長の下で働いたのは5年ほど。とてもかわいがっていただいた。その5年間で、仕事のやり方だとか考え方だとか、すべてを学んだ。三十数年たった今でもそれは変わらない」

 

 その考え方とは、主流があるなら常にサブやアンチ、オルタナティブの立場から、新しいものを求めること。世の中に反対する、逆らうという意味ではなく、常にユニークな考えを持てということだ。

 

 それを示した実例がある。柴田さんはチェルノブイリ原発事故のドキュメンタリー映画の上映会をパルコ劇場でおこなった。

 

「ファッションビルで原発? 世間と会社を騒がせた企画で、社長は『おもしろい! やる意味があるからやれ』と。イベントは大成功だった。ただマスコミの評価は賛否両論で、『原発もファッションとして商売するのか』と書かれた。

 

 批判に対し社長は何も言わなかった。なんでもしていいということではないが、これこそパルコが普通のファッションビルではない所以ということを肌で感じた」

 

 話を進めよう。柴田さんは出世街道を歩く。渋谷パルコの執行役店長、局長、関連会社の社長。

 

 しかし、かつてのパルコの姿とは違ってきた。2012年8月辞職。そして20年来の友人で、伊勢丹のカリスマバイヤーとして有名だった藤巻幸大さん(1960〜2014)の推薦により、2013年4月、三越伊勢丹に入った。

 

「僕が移ったとき、マーケティングや新規事業の部門がなかった」

 

 そこで2年かけてマーケティング戦略部を作り、部長として担当した。一味違った催し物もおこなったが、なかなか次につながらなかった。

 

 大百貨店の伝統の壁は厚く高かった。紹介してくれた藤巻さんはすでに亡く、受け入れてくれた大西洋社長は2017年春のお家騒動で退任した。同年9月辞職。

 

「今、アミダスという若い人の会社で、僕のキャリアと彼らのノウハウを使って事業展開することに力を入れている。それに好きな音楽のプロデュース。6月に渋谷のクラブクアトロで『TOKYO LAB』というライブをおこなう。

 

 T.O.C.BANDという、日本の若手実力派ジャズミュージシャンの選抜メンバーを中心とした10人編成のバンドで、東京という大きな実験場で新しい音楽に挑戦するというのがテーマ。有名な冨田恵一さん(冨田ラボ)にプロデュースをお願いしている」

 

 T.O.C.とは東京オリンピックセレモニーの意で、開閉会式のどちらかへの出演が目標だ。

 

 空に放たれた鳥のように、柴田さんは自由に仕事空間を飛び回っている。

(週刊FLASH 2018年3月6日号)

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