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永島敏行が語る「米作り30年」今は都内でマルシェを主宰「僕は“未完成”だから」農にこめた人生観

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記事投稿日:2025.07.19 06:00 最終更新日:2025.07.19 22:27
出典元: 週刊FLASH 2025年7月29日・8月5日合併号
著者: 『FLASH』編集部
永島敏行が語る「米作り30年」今は都内でマルシェを主宰「僕は“未完成”だから」農にこめた人生観

東京・四谷のマルシェで接客する永島敏行

 

令和の米騒動」で大忙し! 田んぼに夢を託してきた芸能人に聞く、米作りの喜びと人生の転機とは――。

 

 永島敏行(68)が田づくりに目覚めて、もう30年以上になる。

 

「大学の準硬式野球部の仲間に秋田県十文字町の出身者がいて、誘われて約30年前に初めて米作りを体験しました。以来、千葉県芝山町などで稲作や畑仕事を続けています」

 

 当初は、子育ての一環でもあった。

 

 

「農作業を手伝わせようとしたって、遊んじゃって無理だけど、泥まみれになって駆け回ってさえいれば、子供は自然の懐ろの深さを理解してくれると思いましてね」

 

 少年期には、自身の身の回りにも自然が残っていた。

 

「実家は千葉市で旅館を営んでいました。東京湾はまだきれいで、砂浜にアサリやハマグリが湧くようにいました。少し足を延ばせば里山もあって、遊び放題でした。それが高度経済成長期の終わりごろには、すっかり海は汚れ、森も開発で失われ、貝も虫も見かけなくなりました」

 

 1977年に映画デビューし、高校球児やサッカー少年など、素で演じられる役が続いた。大きな転機となったのが、1981年の立松和平原作の映画『遠雷』。主役のトマト農家の青年を演じた。

 

「徐々に都市化していく宇都宮が舞台で、より東京に近く、先に変わってしまった千葉と印象が重なりました。精魂こめてハウスで作ったトマトが路地物とかち合って安く買いたたかれる場面は、今の米騒動とも一脈通じる面もあったな。主演デビュー作『サード』の東陽一監督には、『お前には技なんかないんだ。でも感じることならできるだろう』と言われましたね。僕自身が“未完成”だから、米や野菜という『素材づくり』が性に合ったのかもしれないですね」

 

 2005年には「青空市場」という社団法人を立ち上げ、東京の丸の内、四谷、豊洲などでマルシェを定期開催している。地域の生産者と都心部の利用者の架け橋となっている。全国各地の生産者を訪ねて出向く機会が多いが、ことに関わりが深いのが長野県松本市の農業法人「北清水」だ。

 

「そのコシヒカリは、安曇野の穂髙神社に奉納されています。2022年には皇居でおこなわれた新嘗祭の献上米にも選ばれました。僕も仲間を連れて田植えを手伝い、稲刈りにも参加させてもらう予定です」

 

 実りの秋が、今から待ち遠しい。

 

 

永島敏行
1977年、映画『ドカベン』で俳優デビュー。『遠雷』でブルーリボン賞主演男優賞を受賞。「青空市場」の代表を務め、都内でマルシェを定期開催している

 

写真・保坂駱駝
取材/文・鈴木隆祐

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