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学生バイトで葬儀業界を変える「呉の暴れん坊」出会いと転機

ライフ・マネーFLASH編集部
記事投稿日:2018.03.15 11:00 最終更新日:2018.03.15 11:00

学生バイトで葬儀業界を変える「呉の暴れん坊」出会いと転機

 

 学生アルバイトと葬儀。およそ縁のない両者が出会い、新しい流れが生まれようとしている。

 

 4年前に地元の呉市から地縁のまったくない東広島市に移り、小さな会館を建てて葬儀の仕事を始めた。仕事は3年めから軌道に乗った。地道な営業活動が実を結んできたこともあるが、それにもまして業界の常識を覆す須賀隆さん(40)のスタッフ起用があたった。

 

「18歳のときから10年間、広島市のホテルで料理人として働きました。広島でも有名な料理人の方々に教わることができたのは、私が師と仰いだ方との縁に恵まれたからでした。さもなければ、呉市で『がんぼたれ(暴れん坊)』していた私が出会う機会は、まずありません」

 

 28歳のときに転機が訪れる。料理人として生きていけるか不安になった。師は、葬儀社なども経営しており、悩んだ末に、料理人を辞めて師の葬儀社で世話になることを決意した。師の右腕だった専務のもとで学んでみたいと思い、葬儀の世界に入った。そして7年勤めた。

 

「その間に師である会長が亡くなり、専務が副社長に昇格しました。この体制で10年後に会社が生き残れるのか、疑問に感じたのです。そこで、自治会やお客様の声などをまとめて副社長に提出しました。体制改革案でしたが、その場で握りつぶされました。ここまで育てていただいたのに意見したこと、それが理解されなかったことで辞表を提出し、進退を会社に委ねました」

 

 しばらく在籍したが、師から学んだ「心」の大切さを実践したいと思い、独立を決意。呉で小さな葬儀社を始めた。しかし、謀反者の烙印を押された須賀さんに葬儀を頼む人は少なく、弁明も通じなかった。それで東広島市に移ったのである。

 

「会館は造ったが客は来ない。葬儀の依頼は毎日入ってくるものと勘違いしていました。自転車でポスティングに行き、駅前でチラシ入りのティッシュを配りました。その作業をすることで仕事をしたような気持ちになり、不安をまぎらせていました」

 

 1年めは売り上げも悪く、2年めからは病院回りなど営業に本腰を入れた。3年めの春、スタッフの女性から「大学生を使ってみませんか?」と提案された。その発想がなかった須賀さんはおもしろいと思った。

 

 数日後、やってきたのは広島大学の女子学生。早速仕事を教えた。理解力が抜群なうえに真面目に取り組み、さらに仕事を頼むと2、3通りのやり方を提案してきた。アルバイトは無責任だと思っていた須賀さんは、目をみはった。

 

「これまで関わった学生は12人。アルバイトというよりインターン。今は、広島大学の男子が5人と女子が1人。会館を造って最初の3年間は、僕の感覚だけで経営してきたのですが、彼らが社員教育の勉強会に参加して学び、会社の基盤を作ってくれました。

 

 たとえば営業などで出た結果を理論的に分析し、よりよい結果を導き出す方法論を考えるという具合です。従来型のマニュアルに縛られた葬儀ではなく、伝えられてきたお弔いの心を大事にして、そこに若い人たちの感性を加えて新しくしていきたい」

 

 学生は営業、打ち合わせなど葬儀の全過程を真心こめてできるようになった。形式重視の葬儀文化が変わるのではと注目する人も出始めている。

 

「伝統に固執している葬儀屋さんは、学生アルバイトを使っていいかげんなことをしていると見るかもしれないが、年齢や立場は関係ない。大切なのはその人の心であり、一生懸命さだと思う」

 

 学生の熱心さを見るにつけ、自分の限界を感じている須賀さんは、大学生が運営する葬儀社を広島に作りたいと考えている。学生たちが葬儀文化を継承していくのだ。

 

「僕らの仕事は葬儀を売るのではなく、相手の気持ちをしっかり聞いて、それを形にすることです」

 

 業界の新たな流れになるのか、須賀さんと学生たちの挑戦は始まったばかりだ。


(週刊FLASH 2018年3月20日号)

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