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地方創生のため「首都圏税」を!企業5割、就職9割、貯金4割…すべて “総取り” の首都圏から集金して日本の構造を変えよう

首都圏には資本が集積する。資本の分類や名称は論者によって様々だが、ここでは「経済資本」「文化資本」「社会資本」「象徴資本」の4つを使う。
その内容を端的に説明すると、経済資本は預貯金や不動産等の金銭資産、文化資本はスキルやセンス等の美意識、社会資本は人脈や信頼等の人間関係、象徴資本は注目や人気等の知名度になる。
これらの資本は相互作用し再生産を促す。たとえば、文化資本を使って多額の資金を得る。その経済資本の影響で人脈や信頼が生まれる。その社会資本のつながりで注目や人気が集まる。その象徴資本から刺激を受けて美意識が鍛えられる。その文化資本を使って……といった具合だ。1つの資本を持つことで、別の新たな資本を手に入れる機会が増える。
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たとえば、主要企業の半数以上が首都圏に集中している。市場に流通している商品の多くが、首都圏に本社を置く企業が販売元だ。地方の店舗や工場は首都圏に本社を置く企業の支店や支所になる。製造や販売から得た利益は本社のある首都圏に集まる。とりわけ、首都圏の娯楽産業や金融産業は利益率が高く設定される。
また、文部科学省の「学校基本統計〔2022〕」によれば、若者の約4割が首都圏の大学に進学し、その約9割が首都圏で就職する。さらに、地方圏の大学に進学した若者の多くが、20代前半に首都圏の企業に就職している。進学と就職により、2000年から2015年の15年間で、地方圏の若者(15歳から29歳)は、532万人減少した。これは地方圏の若者人口の約3割に当たる。
次に、預貯金残高の合計を都道府県人口で割った金額を見てみたい。東京都が2743万円で突出している。続いて、大阪府1152万円、京都府1092万円、愛知県992万円の順になる。全国平均の991万円を超えるのはこれら4都府県のみだ。また、東京都及び近郊県の合計金額は日本全体の約4割を占める。
預貯金残高が最も少ないのは沖縄県の454万円だ。続いて、宮崎県の517万円、鹿児島県の537万円の順となる。全国平均と比べて約2倍の地域格差がある。預貯金残高の少なさは平均年収の低さに起因する。
では、この地域格差を大きいと捉えるのか、小さいと捉えるのか。地域の経済格差を埋めたほうがよいのか、そのままでよいのか。そのような問いかけは長年にわたって繰り返されている。その度に、「格差を埋めたほうがよい」という結論になる。しかし、結論のみで有効な手段を何一つ打てていない。
その背景には「資本集積の自然化」がある。首都圏の住民は地域格差を競争による結果として捉えている。過疎地域の住民も日常的な気楽さと安らぎを得る手段として地域格差を受け入れている。たとえば、過疎地域の住民に「この地域の平均年収は日本人の半分です。東京都の3分の1以下です」と伝えても、「まわりも同じような給与だから」といった反応が返ってくる。
なぜなら、賃金の低さに不満を持つ住民は過疎地域から既に転出しているからだ。私たちは居住地域を選ぶ自由がある。そのように考える者が多数を占めるので、地域格差の是正は建前の域に留まる。
■地方創生とは日本の構造を変えること
過疎地域の住民は東京都が大好きだ。TVをいつも観ていてワイドショー的な時事問題に興味がある。地元の知事や市町村長を知らなくても、TVに出演している東京都知事や国会議員は知っている。東京都知事選挙も東京都民のような感覚で語り合う。
また、「東京ドーム〇個分の広さ」という東京ローカルの表現も受け入れている。広さの表現はサッカー場〇個分や、25mプール〇個分等の使い方もある。ローカル的な表現を改めてほしい、といった要望を持っていてもよさそうだが、そのような者はいない。
正直なところ、「渋谷にパリピが集まる」「世田谷のカフェが人気」といった情報を過疎地域の住民が得ても仕方がない。東京都の番組から得られる情報は過疎地域に関係がないものが多い。過疎地域の住民に関係があるのは、地元の食事・交通・教育・福祉・環境・経済等の情報だ。
地方にも幾つかのローカルメディアがある。それでも東京都がつくる「これが今日のあなたの世界です」といった番組を好んで観ている。それによって東京都が自分の世界だと思い込む。過疎地域という言葉を自分事ではなくて他人事として捉えている。
それは仕方がない側面もある。地方にとって東京都は娯楽文化の供給源だ。学生たちの学びの場であり、国会と官庁がひしめく国政の場でもある。農産物等の特産品を売る市場にもなる。それゆえ、どうしても東京都に意識を引っ張られる。
開発経済学には「魚を与えるのではなくて、魚の釣り方を教えるべきだ」という考え方がある。魚を与えれば一日で食べてしまうが、釣り方を教えれば一生食べていけるという主張だ。しかし、過疎地域の住民は魚の釣り方を知らないのでは決してない。そこに魚がいないのだ。魚がいないのに魚の釣り方を教えても無駄になる。
本当の意味で地方創生を成し遂げるのであれば、経済資本・文化資本・社会資本・象徴資本の魚を地方に泳がせる。
たとえば、放送法を改定して全国ネットワークの中心になるキー局を地方に分散させる。新たなキー局を加えて、北海道・東北・関東・北陸・東海・近畿・中国・四国・九州・沖縄の10キー局とする。各キー局が競い合って地域情報を扱うことで地方に注目が集まる。地方が情報の発信源になることで地域の魅力が増す。
また、首都圏の大学機関も地方に分散させる。もしくは、首都圏の大学機関に支給している補助金や研究費を全て撤廃し、そのぶんを地方大学に支給する。学費無料化と研究費の増額で優秀な学生と研究者が地方に集まる。その者たちが居住することで、地域全体としてアートやサイエンスへの興味が高まる。
さらに、首都圏税をしばらく導入してはどうだろう。私が考える首都圏税とは、消費税の仕組みを利用したものだ。「消費税10%+首都圏税10%=20%」のかたちで上乗せして徴収する。10年くらいの期間を設けて人口を地方に分散させるのが目的だ。その税収分は地方に分配する。
首都圏の住民は眉をひそめるかもしれないが、地方創生とは地方の仕組みを変えることではない。首都圏の資本集積を改めて、日本の構造を変えることだ。報道機関や大学機関が地方の田舎に分散することで、「首都圏を中心に置いて日本を考える」という思考様式は確実に弱まる。
その手始めとして、政府機関及び関連省庁が地方に移転する。たとえば、北海道ないし沖縄県のいずれかを首都とし、もう片方を副首都とする。日本の両端から統治を行うのが理想的だ。その中央には皇室が存在しているので安定感がある。有事の際のリスク分散にもつながるはずだ。
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以上、花房尚作氏の新刊『田舎の思考を知らずして、地方を語ることなかれ 過疎地域から考える日本の未来』(光文社新書)をもとに再構成しました。都会の思考とは異なる合理性に裏打ちされた「田舎の思考」を明らかにし、日本の未来を考えます。
●『田舎の思考を知らずして、地方を語ることなかれ』詳細はこちら