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明治になって「盆踊り」は禁止されていた!小泉八雲が近代化する日本で見たものとは

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記事投稿日:2025.09.20 11:00 最終更新日:2025.09.20 11:00
出典元: SmartFLASH
著者: 『FLASH』編集部
明治になって「盆踊り」は禁止されていた!小泉八雲が近代化する日本で見たものとは

1959年の神戸の盆踊り (写真:Duits/アフロ)

 

 開国以降、多くの異邦人が日本を訪れ、日本の風物に目を向けて旅行記を綴った。彼らは、極東の島国に住む人びとの、西洋とは異なる文化に好奇心を刺激され、目に映り、印象深かったことを記録に残した。

 

 彼らの多くは、当時の日本を「日本らしさ」としてとらえ、“珍奇” や “特殊性” を感じたのにたいし、ラフカディオ・ハーン/小泉八雲(1850~1904)は、明治の半ばから後半の日本が、変化のただ中にあることに注目したのである。

 

 

 ハーンが帰化して「小泉八雲」と名乗るようになり、東京で亡くなるまでの日本での滞在期間は、1890年(明治23年)から1904年までの十数年ほどのことである。この間の日本の近代化はめざましく、日清戦争も含まれている。

 

 八雲は、知られざる日本を描くいっぽうで、日本文化のだいじな部分が失われつつあることを察知した。八雲の日本の第一印象は、「香水のごとく捉えどころがなく、移ろいやすい」(「東洋の第一日目」)というものだったのだ。

 

 八雲が日本人の特質、特徴だと強く感じたのは、つねに、目には見えないものと交流していることである。霊魂や妖怪と言葉を交わす人びとの日常を、八雲は目のあたりにしたのである。

 

 八雲は、日本人の資質として、あるいはふだんの生活においても、死者との距離の近さに強い関心を抱いた。それはさまざまな信仰の現場、とくに盆行事で目のあたりにし、認識していった。

 

「盆踊り」(『知られぬ日本の面影』所収)は、小泉八雲が最初に松江に赴任したおかげでもたらされた、貴重な日本文化論である。盆踊りを経験したことが、八雲の日本観を決定づけたといってもいいほどだ。

 

 上市(現・鳥取県西伯郡大山町)という村の踊りの行列は、若い女性か娘ばかりで、選りぬきの着物に身を包んでいた。いちばん背の高いものが先頭に立ち、背丈の順に並んで、列の最後にしたがうのは、11〜12歳の小さな女の子たちだった。

 

 太鼓が鳴ると、いよいよ踊りが始まる。

 

「それは、筆舌に尽くしがたい、想像を絶した、何か夢幻の世界にいるような踊りであった――まさに、驚嘆の舞といってよかった」

 

 いっせいに右足を一歩前へ踏み出すのだが、足の動きは滑るようで、地面から草履が離れることがない。そして白い手が絶えず揺れうごく。いつしか八雲は、「もしここで、そっとささやき声でも発したら、すべてが永遠に消えてしまうのではないだろうか」と思いはじめていた。

 

「盆踊り」の注記によると、八雲はこの文章を書いてから、日本各地で数多くの盆踊りを見て、洞察を深めていったことがわかる。

 

 出雲、隠岐、鳥取、伯奢、備後などの地域での経験から、盆踊りにはひとつとしてまったく同じ踊りはなく、ふたつ以上の地域で同じように踊られることはない。踊りの動きやしぐさが千差万別なだけでなく、歌の歌詞が同じでも歌の調子は違っている。

 

 しかしどの場所の盆踊りでも、その動きとメロディはおもしろくて楽しく、何時間見ていても見あきることがない――。

 

 仏教は盆踊りを利用し、また影響を与えてきた。しかし盆踊りが、仏教より比較にならないほど古い歴史を持つことも、疑いようのない事実だと八雲は考えたのである。

 

■禁止された盆踊り

 

 盆踊りは日本が近世から近代に移る際、決して平穏無事だったわけではない。神仏の分離が強制されたのと同じように、盆踊りもまた旧弊として排除されようとした時期があった。

 

 八雲自身も、警察に差止められて、盆踊りを見られないことがあった。

 

 伊東佳那子・來田享子「盆踊りの禁止と復興に関する歴史的研究――岐阜県郡上おどりを事例に」は、禁止令の記載内容から、盆踊りの何が禁止の対象となったのか、明治政府が盆踊りを禁止することで何を得ようとしたのかについて分析し、考察している。

 

 それによると1873年(明治6年)ころから、盆踊りにたいする禁令が各地で発布されるようになる。1873年には岐阜県と奈良県で禁止の布達、1876年には愛媛県で盆踊りの自粛が勧告され、翌年には禁止が布達された。

 

 一連の布達や勧告は、近代化のさまたげになるという風紀上の理由にもとづき、徹夜踊りが減らされ、卑猥卑俗とみなされた歌詞が、現代的な内容に改められた。

 

 盆踊りを特徴づける4つの要素、1カ所に男女(または多人数)が集まる、裸体・奇妙な格好、楽器等を打ちならす、町中を踊りあるく(または踊りさわぐ)が禁止の理由となった。男女、または多人数が集まることが禁止されたのは、盆踊りが男女の出会いの場だったからである。

 

 八雲が体験したのは、こうした弾圧や規制の嵐がおさまったあとの盆踊りだったものの、そのしぐさ、そこに込められた情緒について、八雲は深く理解しようとしたのである。

 

 

 以上、畑中章宏氏の新刊『小泉八雲 「見えない日本」を見た人 』(光文社新書)をもとに再構成しました。気鋭の民俗学者が、八雲の旅と心を追体験しながら130年前の日本を描きます。

 

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