子どもたちは、日常生活の中で、じつは大人以上に、自分の「気持ち」に振り回されながら生きています。「えーと、えーと」とつぶやいているだけのように見えても、懸命に何かを自覚し、密かに悩んでいます。誰かとうまく関わりたい、仲良くなりたいと思っていても、日々の暮らしの中では、さまざまな場面に出会い、さまざまな感情が湧き起こってきます。
たとえば、何気ないコミュニケーションの中で「あれ? ひとり?」「今日のテストの点どうだった?」「そのランドセルの色、変わってるね」……そんなふうに声をかけられたり、話題にされたりすることがあります。一見すると何気ないやりとり。でも、そうしたひと言ひと言の中に、子どもたちは戸惑いや気まずさ、不安や気後れといった、複雑な気持ちを抱くことがあるのです。
話しかけている人は、他意もなく、ふと思いついたことを口に出しただけかもしれません。受け手の方も、こうしたことに何のわだかまりもなければ、すらすらっと反応できるし、「そうなんだよ」と嬉しそうに、会話を続けることも何てことないでしょう。
ところが、コミュニケーションにいろいろと悩んでいる人にとっては、そうした一見軽~いトークこそが、けっこう長い時間、気分を沈ませる引き金にもなったりしているのです。その状況によっては、重たく、冷たく、抱えづらい思い出や事実の数々とつながったりします。瞬時にブワッとネットワークのようにひろがって、自分ではコントロールできない巨大な情報の塊(かたまり)のようになってしまうこともあるでしょう。大きな「不自然な間」を、コミュニケーションの中で作ってしまうわけです。
「あ、どうしたの、なんか悪いことでも言っちゃった?」と軽く、間を埋める言葉がけをもらっても、ますます一人で、その場に深い穴を掘ってしまい、何も返すことができません。空気を壊したことへの自責や悲しみ、嫌悪感を、さらに抱えることになってしまう人も少なくありません。
こうしたことが日常の中でちょくちょくあるということを、先生方からもお聞きし、高校生たちと一緒に、「苦手な話題をふられたときに自分を守る」ためのスキルについて、練習したことがあります。
この活動は、「うまくいかないことを性格のせいにせず、未熟なソーシャルスキルとして捉え、事前に練習して備えておこう」という考えに基づいたものです。さまざまな対人場面での不安やトラブルを予防する「ソーシャル・スキル・トレーニング(SST)」の一環として行ないました。
■「あ、靴下に穴があいてるよ!」不意にきた言葉で傷つく
感情リテラシーがどれほど成熟しているかは、日常の何気ないやりとりの中に表われることがあります。
このことを思うと、私は伊丹十三監督の映画『お葬式』(1984年公開)を思い出さずにはいられません。作品の中で、葬儀が粛々と進む最中、ふと目に留まるのは、遺族の一人の「靴下の小さな穴」。張りつめた空気の中で、そのささやかな出来事が、思わず人の心を和ませる瞬間となっていました。
しかし、日常生活で、「あ、靴下に穴があいてるよ!」と不意に、誰かから言われたら、あなたはどう感じるでしょう? また、どう反応するでしょう。「あ、どうしよう、困った」「えー、恥ずかしい」「ショックー」と、さまざまなリアクションが想像できます。
どんなリアクションでも、とにかく言葉にできる人は、とりあえずは間を埋めて、パニックにはならないでしょう。「大丈夫だよ」「貸してあげようか」「見えないようにこう折り返せば」とか何とか、状況にはよりますが、コミュニケーションは続きます。
不本意にも大きな声で指摘してしまった方も、ある程度優しい人柄であれば、「大きな声で言っちゃってごめん!」とか「こうしてみる?」などと言葉をつないで、あるある場面として過ぎ去っていくものです。
その場に、ギャグのセンスがある人がいれば、失敗をユーモアで包み込むことで、空気が一気にやわらぐこともあります。「お、その穴もっと広げてファッションにしちゃおうか」「そこから世界が見えるで!」……そんなひと言が飛び出せば、誰かの失敗も、誰かの恥ずかしさも、「ひどいことを言われた・言ってしまった」という重たい空気に変わることなく、笑いとともに受け流すことができます。場が救われる瞬間です。
でも実際には、こうした気まずい “瞬間” が大の苦手、という人も少なくないのです。そこで、このスキルが未熟な高校生たちと、「ふいに恥ずかしい指摘をされたとき、自分をどう守るか」というテーマで授業を行なったわけです。
授業では、まず先生が、「生活の中で誰にでも、困った場面に遭遇することがあるよね」という話からスタートします。そして、「こういうとき、何も言えなくて固まってしまって、あとでまた落ち込んじゃって……ってこと、ない?」と、自己嫌悪につながるパターンを紹介しながら、「今日は、そんなときにどう行動すればいいか、みんなで一緒に考えてみよう」と問いかけました。
授業の中では、先生方がまずちょっとした寸劇(ソーシャル・スキル・トレーニングでは、モデリングと呼ばれます)を見せてくれました。たとえば、先ほども例に出したような、突然知り合いから「あ、靴下に穴があいてるよ!」と大きな声で指摘される――そんな場面の寸劇です。
このとき、自分だったらどんなリアクションをとるのか。そして、そのとき、自分はどんな気持ちになっていたのか。「恥ずかしい」「失敗した感じ」「自己嫌悪」「ショック」など、ふいに湧き上がるネガティブな感情に、自分で気づくためのモデルをいくつか示していきます。
ポイントは、「なぜうまく反応できなかったのか?」という問いに、感情面からアプローチすることです。つまり、「反応できなかった自分」を責めるのではなく、「それほどショックだった」「恥ずかしかった」という気持ちに、まずは気づき、受けとめることが大切なのです。そのうえで、「じゃあ、そんな気持ちになったら、どうしたらいいだろう?」と話し合います。生徒自身も役割を演じてみたり、思いついた行動を試してみたりします。
大切なのは、「正解」を探すことではありません。恥ずかしいと思う気持ちは自然なことで、それ自体は決して悪いことではない、という気づきが出発点です。
ただ、その気持ちを消すことはありません。そもそも消せないものです。消そうという焦りに押し流されず、それを表現してみましょう。「うわ、はずかし~!」と。それでいいのです。練習しているうちに、ちょっと余裕が出てきて、笑いに変えて受けとめてみる。
受け止めれば、次は、対策です。「誰かに借りる」「買いに行く」「履き替えに帰る」といった現実的な対処をいろいろ考えることができます。
こうした体験をあらかじめしておくことには、大きな意味があります。ふいにやってくるからこそ動揺してしまうけれど、「あ、これ経験した場面だ」と思えるだけで、「たいしたことない」のカテゴリーに入れられるようになるからです。
そんな “心の予行練習” を、授業の中で積んでいくのです。
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以上、渡辺弥生氏の近刊『怒っている子どもはほんとうは悲しい 「感情リテラシー」をはぐくむ』(光文社新書)をもとに再構成しました。不登校、いじめ、SNSでの誹謗中傷など、子どもたちが抱える生きづらさを解消する「感情リテラシー」の育て方。
■『怒っている子どもはほんとうは悲しい』詳細はこちら
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