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売上高100億円超の葬儀社を作った男「転機は恩師がくれた本」

ライフ・マネーFLASH編集部
記事投稿日:2018.04.19 11:00 最終更新日:2018.04.19 11:00

売上高100億円超の葬儀社を作った男「転機は恩師がくれた本」

 

 人生最大の転機は? その問いに冨安徳久(58)さんは仕事を始めたきっかけや、37歳で起業したときを差し置いて「15歳のときに読んだ本」と答えた。15歳で転機? いったいどういうことなのか。

 

「15歳のときに小学校の恩師から本をいただきました。『お前は夢も何もないから、大事な本だけどこれをやるので読め』。司馬遼太郎さんの『竜馬がゆく』でした。

 

 読み始めたらおもしろくて。高校1年生のときに実家のある愛知県の豊川市から高知市の桂浜まで行きました。坂本龍馬の銅像の前で、『いただいた命、僕にも何かやることがありますよね、必ず見つけます』と手を合わせました。

 

 でも、高校時代はやることが見つからず、大学の4年間で見つけようと思って……。恩師からいただいた本は、 社長室に大切に置いてあります」

 

 冨安さんは名古屋に本社を置く葬儀社、(株)ティアの社長である。37歳のときに創業して、19年めで売上高が100億円を超える企業に成長させた。葬儀業界で100億円を超える企業は少ない。現在は東京、名古屋両証券取引所の1部上場企業でもある。

 

 では、天職を超えて天命だという葬儀の世界へ入ったきっかけは何だったのか。

 

「葬儀ビジネスに出会ったのは18歳のとき。山口県にある大学に入り、現地で入学式まで少しでもお金を稼いでおこうと思って、バイトをしたのがきっかけ。

 

 時給がほかのバイトの倍の1000円。世のため人のためになるバイトだと喫茶店のマスターから紹介されて、行ったら葬儀社でした。小さなときから、人のために生きなさいという冨安家の考えがあって、何か偶然の一致を感じました」

 

 葬儀の道具などを片づける仕事だったが、葬儀の後に遺族から感謝されている先輩社員を見た。遺族は大切な人を亡くしてどうしていいのかわからない。我々が、きちんと送れるように故人に寄り添って、滞りなく式が終わったら本当に感謝される仕事だと先輩から教えられた。

 

「鳥肌が立つぐらい感動した。大学に行く目的も意味もなかったので、社員にしてくださいとお願いしました」

 

 結局、冨安さんは大学へは行かず、山口県の葬儀社に勤めた。2年後、父親の病気のため実家に戻った。そして1981年、21歳のときに名古屋に拠点を置く大手互助会の葬祭部門に入社した。

 

 そこで実績を認められ、25歳で葬儀会館の支配人に抜擢された。ただ当時の葬儀業界は、価格がオープンにされておらず、不透明であるという問題点があった。さらに……。

 

「30歳のとき、生活保護受給者の葬儀はやらないという会社の方針が出ました。それは容認できませんでした。お金があろうがなかろうが誰でも分け隔てなく利用できる葬儀社を作らなければ……。龍馬が好きということもあって、命に代えてもこの業界を変えてやる、という『志』を抱きました。

 

 松下幸之助さんも孫正義さんも、経営者にとって何がいちばん大事かという問いに、即『志』と答えています。何をやらねばならないのか、なんのためにするのか、経営者は信念を持っていなければいけません」

 

 こうして1997年、“日本で一番「ありがとう」と言われる葬儀社” を掲げて会社を設立。全国展開を目指した。

 

「豪華、質素……人によって望む葬儀は違う。それをかなえてあげられる葬儀社、なおかつ経済的な理由があっても切り捨てない。人の死に上も下もない。金額によって差別化するのではなく、故人様がいる限り丁重に接する」

 

 他社では祭壇まわりなど100万円したものを、49万円にして売り出した。それが口コミで広がった。2018年3月末現在、97店舗を展開中で、中長期目標の200店舗体制を社員たちと描いている。さらにその先のビジョンも頭にある。

 

 志はまだ半ばにすぎない。そういえば冨安さんの志の定義とは、“より多くの人を喜ばせること” だそうだ。
(週刊FLASH 2018年5月1日)

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