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750円のカレーに近江牛…未確認のグルメ情報がウェブに氾濫

ライフ・マネーFLASH編集部
記事投稿日:2018.05.12 17:00 最終更新日:2018.05.12 17:58

750円のカレーに近江牛…未確認のグルメ情報がウェブに氾濫

 

 たとえば蕎麦を食べるとして、文章のプロたちは、その一杯の蕎麦を包む情景を描写することに、最大の意を注ぎます。

 

 店の佇(たたず)まいから始まり、主人の立ち居振る舞い、もしくは内儀の気配り。そして器や盛り付けまで。これらを描き切ることで、蕎麦の味わいが読み手の脳裏に、くっきりと浮かんで来るから不思議です。

 

 といっても、主人や女将の実名を書くことは滅多にありません。ましてや愛称で呼んで親しさを強調するなど論外です。

 

 つるりと喉越しのよい更科蕎麦か、香り高くも荒々しい田舎蕎麦か。蕎麦そのものに触れなくても読む側に伝わってくるのです。これこそが〈食語り〉の醍醐味ですね。

 

 これと比べるのも先人たちには失礼かもしれませんが、今の食の書き手たちは、微に入り細を穿ち、あーだこーだ、と食そのもののディテールばかりを書き込んで、ちっとも周りの情景を描いてくれないのです。

 

 蕎麦そのものについては、事細かに書いてくれます。どこそこ産の蕎麦粉を使い、から始まり、石臼で挽き、だの、エッジを立てて、だの、如何にその蕎麦が素晴らしいかという賛辞を連ねることには熱心です。蕎麦だけではありません。ありとあらゆる食材や調理法に通じておられるのでしょう。

 

 しかしそれらはすべて店側の情報を垂れ流しているだけの受け売りに過ぎないことが、読み進むうちに分かってきます。
 だってそうでしょう。63度で13分加熱した、なんて食べて分かる話ではないのです。

 

 これではまるで店の広報文ではないか。そう思うことがよくあります。

 

 蕎麦に限ったことではありませんが、プロもアマも、料理人さんの言葉を鵜呑みにして、それをコピーしたかのような文章は味も素っ気もないと僕は思います。食べて何かを感じる前に、知識が先行してしまっているのです。

 

 蕎麦ではなく牛肉料理だとしましょう。まずはブランド名を挙げ、それをどれほど熟成させたか。何度で調理したか。まるで科学の実験のような記述を、その場に立ち会っても居ないのに、断定的に書いてしまうのも今の書き手さんたちの特徴です。

 

 ちゃんと検証したのでしょうか。トレーサビリティを、熟成期間を、調理温度を、ずっと付きっ切りで確認して書いたのでしょうか。おそらくは否でしょう。そんなことできっこありません。

 

 肉料理でよく使われる言葉に、時間調理があります。たとえばシチュー。12時間煮込んだ、と言われても誰も確かめようがないではありませんか。店に住み込んで寝ずの番をしないかぎりは、店側の言い分を信じるしかないのです。

 

 たとえそれが実際には5時間ほどだったとしても、12時間と書くことになってしまいます。料理人さんに限ったことではなく、人間というものは、こういうことは、ついつい誇張したくなるものなのです。

 

 大きな声では言えませんが、僕だって3日で書き上げた文章を、10日を費やして書いた、と大げさに言ってしまうことがあります。

 

 だからこういう類(たぐい)のことは書かないほうがいいのです。

 

 基本的に僕は、食を綴るときに、この手の情報は書かないようにしています。雑誌ならキャプションで補うことはあるかもしれませんが、産地ですら〈だそうだ〉と書き、絶対に断定はしません。

 

――このカレーには近江牛を使っているそうだ――

 

 というふうにです。
 だって確かめようがないでしょう。比較的安価なモモ肉だとは言え、750円のビーフカレーに80グラムの近江牛を使っていると言われて、にわかに信じることはできませんが、性善説に則れば、そう書くしかないのです。

 

 僕はあくまで自分の目と舌で感じたことだけを綴ります。それが〈食語り〉の要諦だと思っています。

 以上、柏井壽氏の新刊『グルメぎらい』(光文社新書)より引用しました。味よりもインスタ映えを気にする客と店、料理人を愛称で呼んで馴れ合うブロガー、予約の取れない店自慢……。今のグルメ事情はどこかおかしい。25年以上食を語ってきた著者による、忖度なしのグルメ批評!

 

●『グルメぎらい』詳細はこちら

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