
「EDや性欲低下だけが男性更年期ではない」と語る土井直人医師
最近、仕事も趣味もなんだか面倒くさい……。それは単なる疲れや加齢ではなく、年間1.2兆円もの国家レベルの経済損失をもたらす「男性更年期(LOH症候群)」のサインかもしれない。働き盛りの男性を襲い、うつ病とも誤診されやすいこの “見えない病” の正体とは?
■「夫婦の危機」を迎えていた59歳運送マンの場合
「いま思えば、無気力になった時期はあったかもしれないな」
そう話すのは59歳の運送会社社員、安藤英和(仮名)さんだ。仕事への意欲が湧かず、休日は家でゴロゴロして終わる。以前は熱中していた趣味のウエイトトレーニングも、いつしかサボりがちに。
もっとも、本人は深刻に考えなかった。2歳年下の妻がちょうど本格的な更年期障害に悩まされていたからだ。突然気分が落ち込んだり体調が安定しなかったりの妻に、当たり散らされては身をすくめる日々を送る。
「女房のほうがよほど大変だったから、それどころじゃなかったんだよ。今から7〜8年前のことだけど、マジで夫婦の危機を迎えていたから」と当時を振り返る安藤さんだが、自らの身にも起きた変化にまで気づけなかったのだ。
■ 国が認めた「年間1.2兆円損失」の国民病
近年、中年期に入った男性の「不調」が国家レベルの課題として注目され始めている。2025年6月、政府は「経済財政運営と改革の基本方針2025(骨太の方針)」に、男性更年期への対応推進を初めて明記した。経済産業省の試算では、男性更年期による欠勤や労働生産性の低下などの経済損失は年間1.2兆円に達するとし、放置できないレベルと認定されたのだ。
更年期といえば女性のもの――。そう考えている人は少なくないだろう。しかし、男性にも厳然と存在するのだ。
医学的には「LOH症候群(加齢男性性腺機能低下症候群)」と呼ばれ、男性ホルモンであるテストステロンの低下によって、心身にさまざまな不調が現れる状態を指す。疲労感や気分の落ち込み、意欲低下などが代表的な症状だ。
■ 多くの男性が自覚できない、折り重なる「微細な不調」
「最近、疲れやすくなった」「やる気がまるで出ない」「夜中に何度も目が覚める」「体が火照ったりむやみに汗をかく」「手足がこわばったり痺れたりする」……。そんな状態が折り重なり、なんとなく生きているのすら「面倒くさい」と感じ出す。
だが、そうした心身の変化を、単なる加齢や仕事のストレスとして受け流してしまう。
市ヶ谷ひもろぎクリニックに勤務し、泌尿器科が専門の土井直人医師によれば、診療現場では「EDや性欲低下だけが男性更年期だと思われている」ケースが少なくないという。
しかし、実際には、症状はもっと幅広い。ゆえに土井医師は「だるい、なんとなく体調が悪いといった、上記の兆しが現れたら、男性更年期を疑ってみてください」と警告する。
■ うつ病と誤診・混同
女性の更年期との決定的な違いは、その「変化の緩やかさ」にあると土井医師は指摘する。
「男女ともホルモン分泌のピークは10代後半で、以降は下り坂をたどっていきます。ただ、女性の場合は閉経という大きな節目があります。これとは対照的に、男性は何十年もかけて緩やかに減少していく。男性更年期が厄介なのは、本人も周囲も気づきにくいことなんです」
昔ほど無理が利かなくなった。そう感じても、それを病気とは考えない。働き盛り世代ほど、「気のせいだろう」「年齢の問題だろう」と我慢してしまう傾向にある。それもそのはず、症状はしばしば別の病気と見分けがつかないのだ。特に混同されやすいのがうつ病だ。
気分の落ち込みや意欲低下、集中力の低下といった典型的なうつ病の症状は、男性更年期と共通している。男性更年期の患者が精神科や心療内科を受診したり、逆にうつ病を疑って受診した患者が男性更年期と診断されるケースも珍しくないという。
「症状だけでは区別が難しいこともあります。ですから、安易に自己判断せず、必要に応じて血液検査なども含め、医院で総合的に評価することが大切です」
そう話す土井医師の言葉を裏づけるような体験を、他ならぬ筆者の父もしている。
■55歳で妻を亡くした「広告マン」の場合
55歳で1歳違いの妻を癌で亡くした父は、当時、広告代理店の管理職だった。喪に服す1年の間、激務のかたわら、妻の残した随想などを編んで文集にする作業に熱中した。しかし、それが完成すると、急にひどく落ち込んだ。
「朝になると気が重くて、会社へ行くのも億劫になり、精神科などを訪ね歩いた。3軒目にたどり着いた心療内科クリニックの院長が女性で、告げられた診断には驚いたね。確か女医はこう言ったよ。『奥さんを亡くしたショックも当然ある。でも、ちょうど更年期に差しかかる年齢。男性にも更年期はあるんですよ』と」
もちろん、父のケースは配偶者との死別という大きな喪失体験抜きには語れない。しかし、女医の言葉で自分の不調を客観的に受け止められるようになった父は、適切な処方によって、みるみる改善へ向かった。
前述のとおり、男性更年期の背景にあるのは、男性ホルモンであるテストステロンの低下だ。さらに近年は、働く環境も大きく変わり、人間関係や長時間労働といった従来型のストレスに加え、DXや生成AIへの対応、新しい働き方への適応など、中高年世代が背負う負荷はむしろ増している。
そうした劇的な環境の変化が、男性更年期の入り口となるのは間違いない。
■治療法は注射、塗布クリーム
「中高年特有のストレスはテストステロンの低下とも関係しています。仕事や家庭環境の変化が重なる40〜50代は、ちょうど男性更年期の症状が現れやすい年代だと言えます」
と土井医師。では、男性更年期と診断された場合、どのような治療がおこなわれるのだろうか。よく知られているのは、男性ホルモンを補う「テストステロン補充療法」だ。2000年代半ばから一般的になった。
「標準的な療法は注射です。一定の条件を満たせば保険診療の対象にもなります。欧米では経口薬の投与もおこなわれますが、肝臓への負担が大きいため、日本の保険診療では認められていません」
土井医師曰く、効果は人によりけりだが、数週間ごとに男性ホルモンを筋肉注射し、3カ月ほど続けて様子を見るのが普通。効果が見られた場合、注射の間隔はあけるという。
「注射はしっかり効果が期待できる反面、投与後にホルモン値が大きく変動します。値が一気に上がって活発になった後に反動が来て、再び意欲減退が起きたりするので、この体調の波とうまく付き合っていかねばなりません」
男性ホルモン値の大きな変動を抑えるためには、クリーム剤が使われる。1日1回朝に塗り、効果が不十分な場合、1日2回朝と晩に使用する。塗布部位は、顎の下や腕の内側など肌の薄い箇所だ。
■症状の背景を見極めることが重要
ともかく土井医師は、「まず検査ありき」を強調する。
「最近元気が出ないから、とりあえず男性ホルモンを補えばいいという話ではないんです。症状の背景に何があるのかを見極めることが先決。実際、肥満や睡眠不足、運動不足などから来るストレスがテストステロン低下に関わっていることもあるし、別の病気が隠れていることだってあり得る」
中高年になると、睡眠を促すホルモンのメラトニンの分泌も減り、眠りの質も低下しがち。また、筋肉量も減って基礎代謝が落ちるため、少しの活動でも疲れやすくなり、「動くと疲れるから動かない」という運動不足の悪循環が起きてしまう。男性更年期には糖尿病をはじめとする、生活習慣病との関係が見逃せないのだ。
取材・文/鈴木隆祐
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