戦艦大和(写真:TopFoto/アフロ)
1945年4月6日、12時40分頃。春の瀬戸内海は、どんよりとした曇り空に覆われていた。
徳山沖に停泊する戦艦「大和」の右舷後部海面に、1機の零式水上偵察機がしぶきを上げて着水した。鹿屋から飛来した、参謀長・草鹿龍之介中将と作戦甲参謀・三上作夫中佐を乗せた機体である。
2人は舷梯を伝い、巨大な鋼鉄の壁を登っていく。彼らを待っていたのは、静寂だった。
案内された長官公室では、第二艦隊司令長官・伊藤整一中将を始め、4〜5名の幕僚たちが、石像のように微動だにせず座っていた。部屋の空気は、完全に凍りついている。
草鹿は、今回の海上特攻作戦が決定した経緯を、簡潔に説明した。
「……したがって、空からの菊水作戦、そして陸軍の総反撃に呼応し、海上特攻隊もまた沖縄へ突入。全力を挙げて敵艦船、および輸送船団を撃滅する。これが、豊田(副武・連合艦隊司令)長官のご決心です」
空調の低い唸り音だけが部屋に響く。伊藤は身じろぎもせず、卓上に広げられた作戦図を、ただじっと見下ろしている。その視線は、沖縄への道のりを通り越して、はるか彼方の「虚無」を見ているようだった。
「……参謀長」
伊藤は目を合わさず、ゆっくりと口を開いた。
「この作戦の目的、範囲、そして成功の算を、連合艦隊はどう考えておるのか」
問いかけは淡々としていたが、それは鋭利な刃物のように草鹿の急所をついた。目的も、行動範囲も、成功の見通しも、あるにはある。だが、それは建前でしかない。本当の目的は何か。連合艦隊は自分たちに何を求めているのか。
この会談の場にいる誰しもが、真の目的を理解していた。わざわざ「海上特攻隊」とまで銘打っている最後の作戦である。やるべきことは明白であった。
「要するに死んでもらいたい」
「今から沖縄に征って華々しい最期を飾ってくれ」
……だが、そんな言葉を口にすれば、この作戦が「作戦」としての体裁を取り繕っている所以を、自ら放棄することに等しい。
草鹿は二の句が継げなかった。連合艦隊参謀長が説明を求められ、核心部分を言い淀むその態度こそ、この作戦の正当性を証明できない何よりの証拠だった。
重苦しい沈黙が、再び場を支配する。1秒がまるで無限に感じられるような、窒息しそうなほどの時間。三上は、この耐え難い空気に我慢ができなくなった。上官である草鹿がこれ以上、答えに窮する様を見ていられなかったのだ。
「連合艦隊司令部の考えを申し上げます」
伊藤の視線が、すっと三上に向けられる。
「本作戦は、大和の沖縄突入によって敵を破砕し、しかる後に……」
自らの言葉が空回りしていくのを感じる。それでも三上は止まることができなかった。
「連合艦隊では、『大和』は最後に沖縄にのし上げて主砲を撃ちまくり、弾丸が尽きれば乗員は、陸戦隊として敵陣へ斬り込むことまで考えています」
言い放った瞬間、三上はハッとした。幕僚たちの顔に、ありありと「軽蔑」の色が浮かんだからだ。世界最強の46cm砲を持つ戦艦を、ただの固定砲台として砂浜に座礁させ、最後は水兵に銃剣突撃をさせろと言うのか。それが、海軍の頭脳が集まる日吉の司令部が考え出した結論なのか。
伊藤は、ゆっくりと顔を上げた。その目には、怒りを超えた底知れぬ哀しみと諦念が宿っていた。
「ふざけるな」
伊藤の声なき声が、三上の鼓膜にハッキリと聞こえた気がした。彼の眼光は、こう語っていた。
(海軍の伝統的理念をねじ曲げ、制空権もなく現実を直視しない無策無謀の作戦を、連合艦隊司令部ともあろう所が杜撰な理屈をつけて、戦局に寄与することなくメンツのみで「死んでくれ」とは、一体どういう了見なのか)
その怒りは単なる感情の爆発ではなかった。それは、理性を欠いた組織に対する、理性ある指揮官の絶望的な軽蔑だった。
最後は沖縄にのし上げて乗組員は陸戦隊となる。それは伊藤長官にとっても、第二艦隊司令部にとっても初めて聞く話であった。実は、連合艦隊司令部はこの時まで、海上特攻隊にそんな「最期」を与えようとしていることすら、関係各所に一切連絡していなかったのである。
仮に「大和」が満身創痍で沖縄まで辿り着いたとして、固定砲台となって主砲を敵に向けるには、「大和」の電気系統が生きていなければならない。自慢の46cm主砲は、傾斜が5度以上になると発射が不可能になる。道中の大損害がほぼ確実と予想される中、沖縄まで無事に辿り着いたとして、「大和」の主砲が正常に機能するかは怪しい話であった。
さらにいえば、第二艦隊の乗組員は最後に陸戦隊として斬り込むと明言したにもかかわらず、乗組員が地上で行動するための装備品も何一つ支給されていなかった。この話が本当だとして、連合艦隊司令部は乗組員に手渡すための小銃はおろか、短刀1本すら用意していないのである。
貴重な戦艦を手放すだけでは飽き足らず、そんな丸腰の水兵を敵地の真っ只中に放り込んで、一体何になるというのか。まさか連合艦隊は、そんな不始末すらも「海上特攻隊」という美名によって全て処理し、後世のために死に花を咲かせようなどと言っているのか。
三上の言葉がいい加減なでまかせであることは、伊藤も、草鹿もよく理解していた。本当にそのつもりであれば、せめて事前にその通告と準備があって然るべきなのだが、実際には何も動いていない。作戦の目的も意義も全て名ばかり、本当は「大和」のために最期を飾ってほしいという、たったそれだけの理由で出撃を命じているからだ。
(それでも何ら戦局に寄与せず、ただ征って死ねと命令するならば、後世に残る戦いを立派にやってみせ、死んでみせてやる)
死ぬ覚悟はとっくにできている。どのような形であれ、日本のために戦って死ぬことに異存はない。だが、それを命じる側の連合艦隊司令部が、自分たちをここまで見放して、その場しのぎの「思いつき」だけで作戦を立てていることに、伊藤は愛想を尽かしていた。
自分たちが陣頭に立って死ぬのではなく、日吉の後方で「死んでくれ」と命じるならば、せめてそれを命じる「覚悟」を連合艦隊司令部ももっているべきである。だが、今の司令部には、それが感じられない。極めて無責任に、まるで他人事のように伝えられる特攻命令。従容として死す。彼らはその「覚悟」さえも、現地の部隊に全て丸投げしようとしている。
長い、長い沈黙が破られた。伊藤はふっと息を吐き、静かな顔で、草鹿と三上を見据えた。
「それならば、何をか言わんや。よく了解した」
驚くほど穏やかで無味な返答だった。だが、その言葉の裏にある殺気のような凄味に、三上は鳥肌が立つのを感じた。
伊藤の言葉は、戦後「大和」の出撃を描いた著書などによくある「何も言うことはない」という文字通りの意味とは異なる。ましてや草鹿の回想にある「ありがとう、よくわかった。安心してくれ、気もせいせいした」という、晴れやかで都合のいい返事などでは断じてない。
「話にならない、論外だ」
「もはや貴様らには何も期待しない」……。
これは、杜撰な作戦を立てて7000名もの将兵を死地に追いやろうとする連合艦隊司令部への、痛烈な絶縁状に等しいものだった。
会談は、わずか15分で終了した。その言葉を最後に、伊藤長官は席を立ち、幕僚を連れて長官公室を出ていった。最後の会談は、「決裂」に終わったのである。
その間、第二艦隊司令部は士官室(ワードルーム)に二水戦司令部や各艦の艦長を集合させていた。森下信衛参謀長や有賀幸作艦長を始め、集まった面々は連合艦隊司令部に対して、「勇戦すれど徒死するなかれ、という帝国海軍の伝統精神を忘れたのか」といった激しい不満をぶつけていた。
室内の空気は殺気立ち、もし草鹿が不用意にこの部屋に入ってくれば、吊るし上げられかねない雰囲気だった。
だが、その喧騒は、唐突に断ち切られた。
ドアが開き、伊藤整一が入室してきたからである。その後ろには、憔悴しきった草鹿と、うつむいたままの三上が続いていた。一瞬にして、罵声が止んだ。森下は、伊藤へ駆け寄ろうとして足を止めた。伊藤の顔を見てしまったからだ。
そこには、先ほどまでの苦悩も、あるいは激昂もなかった。あるのは、氷のような冷厳な静けさだけだった。それは、己の死を受け入れた者だけがまとう威厳であった。
(……決まったのか)
森下は、喉まで出かかった抗議の言葉を呑み込んだ。伊藤のその相貌が、全てを物語っていたからだ。「作戦は発動した。貴様らも黙って従え」という、無言の圧力。
森下も、有賀も、居並ぶ幕僚や艦長たちも、無念に歯を食いしばりながら、深く頭を垂れて矛を収めるしかなかった。海上特攻隊の覚悟は、これで統一されたのである。
※
以上、池田遼太氏の新刊『戦艦「大和」最期の新証言』(光文社新書)をもとに再構成しました。大和の出撃を決めた司令官、参謀らへの未公開取材テープに残された「一億総特攻の魁」をめぐる真相とは?
●『戦艦「大和」最期の新証言』詳細はこちら
![Smart FLASH[光文社週刊誌]](https://smart-flash.jp/wp-content/themes/original/img/common/logo.png)







