いまも変形学生服が残る、茨城県日立市の「学生ショップ一番街」店主の馬目卓さん(左)と、千葉県木更津市の「あさひや木更津」オーナーの笹川容子さん(写真・木村哲夫)
『湘南爆走族』『ビー・バップ・ハイスクール』『今日から俺は!!』『東京リベンジャーズ』といったツッパリ ・ヤンキーを真正面から描いた作品は、原作漫画から映画まで、世代を超えて支持されてきた。2026年夏に28年ぶりに連続テレビドラマとして復活し、話題を呼んでいる『GTO』(フジテレビ系)も、反町隆史演じる元ヤンキーの教師・鬼塚英吉が主人公だ。
そして、ヤンキー学生を描くうえで欠かせないのが、短ラン、長ラン、ボンタンなどの“変形学生服”だろう。令和の時代も販売を続ける衣料品店の店主たちにガチンコ取材すると、1970年代以降の流行の変遷と、職人不足による消滅危機が明らかになった――。
■中高生にとって大事な“武装”
「うちは“変形学生服の墓場”と呼ばれています。まさか地元で最後の店になるとは思いませんでしたよ」
こう語るのは、茨城県日立市にある「学生ショップ一番街」店主の馬目卓(まのめ・すぐる)さんだ。
同店は、1970年代後半にボンタン(変形ズボン)を扱い始め、やがて専門店を構えるようになった。しかし2000年代に入り、ボンタンの需要が減ると、変形学生服メーカーは次々と廃業を決め、倉庫には在庫の山が築かれた。
「メーカーから『残った在庫を格安でいいから全部、買い取ってくれ』と連絡が相次ぎました。だからウチは “墓場” なんです」(馬目さん、以下同)
以降、現在まで標準服を主力に、変形学生服をネット販売で全国へ届けている。
全盛期には「ベンクーガー」「ジョンカーター」「ジョニーケイ」など、変形学生服を手がけるメーカーは30社近くあったが、「学校側からすれば、標準服の販売店は味方で、変形服を売る店は目の敵にされていた」という。
だが、馬目さんは変形学生服を、単なる「不良の服」ではなく、学生が自身を守るための服でもあったと振り返る。
「学校の外では、カツアゲされたり、目が合っただけで『ちょっと来い』と呼び出されたりします。標準服だと狙われやすいので、変形を着て『危ない相手かもしれない』というオーラを出すという、中高生にとっては大事な“武装”でもありました」
標準服は、袖や裾の調整で3年間、買い替えずにすむ仕様の製品が少なくないが、ヤンキースタイルの生徒たちは、裾幅やワタリのサイズに強くこだわり、何度も店に通った。
「『飽きた』『先生に取られた』などの理由で、新しいズボンを買うんです。『ほかの人と同じものは嫌だ』という生徒も多く、バイト代を貯めて、親に黙って買いに来ていましたね。また、既製品の裾幅が20cmなら、さらに2cm細く直したり。足が通る限界は16cmほどで、それ以上、細くしたい人は裾にファスナーをつけていました」
彼らが求めていたのは個性であり、ファッション性だった。制服の裏地にもこだわり、昇り龍や虎の刺繍が入ったものや、裏ボタン留め、チェーンといった小物もよく売れた。
「かつては上着が1万9000円、ズボンが7000円ほど。全盛期は平日で10万円以上、土日には1日で40万から50万円を売り上げることもあり、地域の高校生の約3分の2が変形学生服を着ていた、なんて時代もありました」
流行も時代の流れとともに変化した。「短ランとボンタンの後には、タイトなベルボトムなどを合わせる“モード系”が流行した」という。
平成に入るころには、ズボンを腰まで下げる「腰パン」スタイルがキマる「スケーター」という形が流行したものの、2000年代以降は、制服のブレザー化とともに変形学生服の需要は激減。学校側からの協力要請もあり、同店は2011年に変形学生服の店舗販売を終了し、ネット販売へと舵を切った。
■裁縫を担う職人はわずか2人だけ
変形学生服を置き続ける店は、千葉県にも。JR木更津駅から徒歩3分の場所にあるメンズ衣料品店「あさひや木更津」だ。ロックバンド「氣志團」のリーダー・綾小路翔も中学生時代から足繁く通った店内には、真っ白なダブルのスーツや花柄シャツが並び、リーゼント姿の生徒と、スケバン風の生徒を描いた顔出しパネルが目を引く。
ドラマ『木更津キャッツアイ』(TBS系)などに衣装協力してきた同店も、かつて変形学生ズボンを数多く販売していた。4代目オーナーの笹川容子さんは、「ヤンキー先生」として講演したこともある。
「1970年代、近所にはリーゼントやパンチパーマが得意な理髪店があって、うちにも毎日のようにツッパリたちが来ていました」
当時の若者にとって、変形学生服は「威圧感を与えるためのドレスコード」だった。
「ズボンの色は2種類で、県立が黒、私立が紺と決まっていました。学生の3分の1くらいが変形だったかな。学校の先生に『違反だから』と没収されても、また買いに来る。うちの母は、太ももが強調されるように、裾幅を細く直してあげていました」(笹川さん)
木更津市は京葉工業地域の一角にあり、中学や高校を卒業して工場で働く若者が多かった。地元で働く先輩たちは、社会人になっても、ヤンキーらしい見た目や気質を持ち続けていたという。
「木更津は、千葉県で千葉市、船橋市に続く3番めの経済圏で、外食産業が盛んでした。仕事を終えるといったん帰宅し、白や紫のカラースーツに着替えて飲みに出かける。銀座や六本木だけでなく、この街にもそんな光景がありました」(笹川さん)
だがそんな木更津でも、2000年代に入り地域の学校制服がブレザー化すると、ボンタンやドカンを求める客は激減。現在の主力はスカジャンや柄シャツ、祭り着などだ。
しかし、映画やドラマへの衣装協力、コレクターやイベントなど、変形学生服を求める声はいまもゼロではない。「あさひや」の棚には、変形ズボンが数本、大切に陳列してある。前出の「一番街」も、店舗販売を終えたあと「長年つき合いのあるメーカーとの縁を切りたくない」(馬目さん)と、ネットで販売を続けている。
一方で、作り手の限界は目の前に迫っているようだ。馬目さんによると、現在、主要な変形学生服を手がけるメーカーは、岡山県の「リバックス」社などごくわずかだという。
「『リバックス』で縫製を担うのは、すでに定年退職された上着専門とズボン専門の職人さんのお2人だけ。スーツの仕立てさながらの技術が注ぎ込まれていますが、手作業なので、どちらかが倒れたらもう作られないかもしれません」(馬目さん)
大人たちの仁義に支えられながら、変形学生服の歴史が今後も紡がれていくことを切に願う。
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