
錦三丁目の消火栓標識にはエリー妃沙子の写真入り看板が(写真・ともゆき)
難関国家資格を武器にして、夜の街で生きる人々を支える専門家がいる。彼らは、なぜこの世界を選び、どんな修羅場をくぐってきたのか。異色の経歴と仕事の流儀に迫る。
「若いころは、コンパばっかりやっていましたね(笑)。『今日は女5人、男5人ね。二次会はどこがいいかな?』なんて、週に2回はしていました。人を集めて、繋いで、場をまわしていたことが、今の仕事で花開いたんです」
そう笑いながら話すのは、名古屋の繁華街・錦三丁目を拠点にする不動産会社を経営し、宅地建物取引士の資格を持つエリー妃沙子だ。
「夜の街不動産エリー」と名乗り、キャバクラやホストクラブ、性風俗店事務所などの店舗物件仲介を手がけている。 “夜の街” の物件を数多く扱うエリーだが、意外にも水商売の経験はいっさいない。
エリーが代表を務める「KEA不動産」は、事業用店舗を専門とする不動産会社だ。美容院やカフェの物件も扱うが、現在は依頼のおよそ7割が “夜の街” 関連。2016年の開業以来、500件以上の仲介を手がけてきた。
「普通の会社のオフィスはあまりなくて、風営法関連などの専門知識が必要な店舗仲介が得意です。『エリーさん、事務所を探して』と言われたら、女性用風俗の事務所だったりします(笑)。そのような場合、大家さんから『この用途で使っていい』という使用承諾書を出してもらう必要があります。そうした人脈があるのも、私の強みです」
あるとき、エリーはデリヘルの事務所で重要事項説明をすることになった。
「デリヘルグループのオーナーに『繁忙期で動けないから』と、店に呼ばれたんです。そこでは、巨大なモニターに女のコの名前がズラリと映し出されるなか、電話担当の女性たちが並んで対応していました。オーナーは、その最前線で『○○ちゃん、次は5分後にここね』と、女のコとドライバーに忙しそうに指示出しをしているんです。世間から偏見を持たれる仕事かもしれませんが、そこでみんなが懸命に働いている姿を目の当たりにしました」
物件を仲介するエリーは、こうして夜の商売の舞台裏を知ることになった。
「今の仕事に就くまで、私は夜の商売についてはなにも知らない専業主婦でした。そもそも、若いころは関西の芸能事務所に所属して、ローカルのテレビ番組でひな壇に座ったり、フリップを持つアシスタントをしたりしていたんですよ」
エリーはなぜ、「夜の街不動産」を名乗るようになったのか。その原点は、故郷・大分の父の存在だった。
■イエローキャブ系の事務所に籍を置いて、バラエティにも出演
エリーが生まれたのは、大分県臼杵市。実家は商店街にある昔ながらの時計・宝石店だった。
「父は時計を修理し、宝石の原石をタイまで仕入れに行っていました。私もバンコクについて行ったことがあります。父が50代のころ、ヨーロッパ旅行から帰国すると、突然宅建を取って、時計店の奥で不動産業を始めたんです」
地元で長く商売をしていた父には人脈があり、新たな商売は軌道に乗った。
「私はそんな父に甘えながら、関西の大学に進みました。ディスコやギャル系アパレルショップで働き、かなり遊びましたね。卒業後は一度、大分県庁に勤めました。でも、都会の楽しさが忘れられず、再び大阪に出て、芸能の仕事を始めたんです」
女性タレントを数多く抱えた「イエローキャブ」の系列事務所に籍を置いた。冒頭のように、コンパに明け暮れたのはこのころだ。
「バラエティにも出演し、ロンドンブーツ1号2号さんやココリコさん、今田耕司さん、東野幸治さんらと共演しました。素人料理対決コーナーで、やしきたかじんさんのチームに入ったこともありますね(笑)。東京にグラビアの仕事で呼ばれたときは、佐藤江梨子ちゃんや根本はるみちゃんがいました」
だが、父は大阪で自由奔放に暮らすエリーを心配し、毎晩のように「宅建を取れ」と電話をしてきた。
「『お前は騙されそうだから法律を知っておいたほうがいい。不動産屋にならなくてもいいから、宅建は取っておけ』と言われ、学費まで送ってきたので、資格の学校に通いました。でも、私はメイクとかファッションにしか興味がなく、最初は “宅地建物取引士” が何の資格かも知りませんでした」
そんなエリーが法律に興味を持つきっかけは、漫画原作の人気ドラマ『ミナミの帝王』だった。
「『善意の第三者』など、嫌々ながら勉強していた法律用語が、テレビから流れてきたんですよ。それで、急におもしろくなって。私はハマると深掘りするタイプで、資格試験直前の2カ月くらいは真剣に勉強し、宅建に合格しました。芸能事務所の社長も『絶対そっちのほうがいい』と応援してくれました。まあ、私は“なんちゃって芸能人”みたいな感じでしたしね(笑)」
その後、結婚して名古屋に引っ越し、3人の子供に恵まれた。しばらくは専業主婦をしながら、メイクレッスンや読者モデルの活動をしていたが、宅建資格を生かし、錦のビルなどを管理する会社で働くようになった。
「テナントのお店をブログで紹介したり、打ち上げで利用したりしているうちに、経営者の方から直接相談されるようになることが増えてきました。それで、『だったら自分でやろう』と思ったんです」
10年前にKEA不動産を設立。ほどなくして、夫とは離婚した。
「『この不動産会社で、子供たちを育てていく』と覚悟を決めました」
錦の管理会社時代に築いたテナント経営者たちとの縁は、独立後も続いた。こうしてエリーは、自然と夜の街の物件を多く扱うようになった。
エリーが自ら前に出るようになったのは、 “コロナ禍の夜の街” をテーマとした地元局のドキュメンタリー番組への出演がきっかけだった。
「本名で顔も出さず仕事をしていましたが、テレビ出演を機に “エリー妃沙子” と名乗りました。すると税理士さんから『YouTubeをやるなら今でしょう』とすすめられ、反響もありました。さらに、錦三丁目エリアに顔入りの看板を出すことになったんです」
■撮影で錦を歩くと、さっそく仲間たちから声をかけられる
いまや、エリーはいち不動産会社の社長という枠を超え、 “錦の顔” になりつつある。
「不動産を通じて、『その人の人生が動く瞬間』に関われることが、モチベーションになっています。じつは今でも、人と人のご縁を繋ぐ交流会を企画したりしています。そういう場をつくること自体が好きなんですよね」
撮影で錦を歩くと、さっそく顔馴染みのカラオケ機器会社の営業マンから声をかけられた。夕暮れを迎え、ネオンが灯り始めた街では、エリーの仲間たちがそれぞれの持ち場へと動き出す。
誰かと誰かを引き合わせるのは、昔も今も変わらない。エリーは今日も、夜の街で新たな場所づくりを支えている。
取材/文・松本祐貴
雑誌記者、出版社勤務を経て、フリー編集者&ライターに。著書に『ルポ失踪』(星海社新書)など。「東洋経済オンライン」で「『現金とっぱらい』の現場で」を連載中
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