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連載終了『ドカベン』清原やイチローに与えた影響が大きすぎる
ライフ・マネーFLASH編集部
記事投稿日:2018.06.28 16:00 最終更新日:2018.06.28 16:00
「俺の “野球狂” の原点は、少年時代に野球が好きなのにできなかったことにあるね。家庭が貧しくて働かなきゃいけない。中学校もあまり行けなかったから」
こう語るのは、漫画家の水島新司氏だ。水島氏は1958年に漫画家デビュー。1972年から始まった『ドカベン』は、主人公のキャッチャー・山田太郎や型破りなキャラクター・岩鬼正美らが活躍する野球漫画の金字塔だ。
その『ドカベン』が、6月28日、連載46年の歴史に幕を閉じた。
『ドカベン』最大の危機は連載前にあったと、かつて水島氏が本誌の取材に語っている。
「主人公・山田は野村克也さんをヒントに書いたんだけど、『こんな顔のキャラクターじゃ少年誌では受けない』とNGを出された。それで、帰ってから岩鬼のキャラクターを考え出したんだ。怪我の功名というか、強烈な個性の岩鬼がいたから受け入れられたんだろうね」
水島氏は “野球狂” なうえ、南海時代からきっての “ホークス狂”。ホークスが舞台の『あぶさん』を連載していただけに、作業場にはホークスグッズが溢れていた。
『ドカベン』は高校野球を題材に10年近く続き、続編と合わせて1987年まで連載された。当然、プロ野球編の構想もあったのだが……。
「本当はそのまま続けてプロ野球編を描くつもりだった。もちろん山田は南海で。でも、現実で『ドカベン』と言われていた香川伸行が先に南海に入ってしまった。ドカベンを2人も南海に入れるわけにいかないし、あれで完全に狂いました」
まさかのシンクロで、いったん『ドカベン』は休載。しかし、多くのプロ野球選手たちの応援を受け、8年後の1995年に『ドカベン プロ野球編』の連載が始まる。
「(当時西武の4番だった)清原和博に『山田たちはプロに行かないんですか? 僕は山田から4番とはなにかを教えてもらったんです』と言われたのがプロ野球編を始めたきっかけ。
でも、清原が巨人に行ったときは『この裏切り者』とショックだった(笑)」
ほかにもイチローから「僕のどんな球でもバットに当ててヒットにしようという発想は、悪球打ちの岩鬼のおかげなんです。岩鬼はバッティングの師匠」と言われたことも心に響いた。
こうして始まった「プロ野球編」は、2012年から「ドリームトーナメント編」に。今回、その連載終了で46年の歴史に幕を閉じた。
最後に、かつて水島氏が語っていた究極の夢を紹介しよう。
「2人の息子に野球選手と漫画家になる夢を託していたけれども、叶わなかった。だから、孫が山田や岩鬼を使って漫画を描く『ドカベン孫編』……これが俺の夢ですよ」