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エドウインの元常務「51歳で起業して」新ブランドを作る

ライフ・マネーFLASH編集部
記事投稿日:2018.08.31 06:00 最終更新日:2018.09.13 14:04

エドウインの元常務「51歳で起業して」新ブランドを作る

 

 暑い日の昼下がり。目の前には白の短パンにTシャツ姿、ウエーブのかかった長髪に日焼け顔、ラグビー選手を思わせる大男がいた。

 

「いつも、この格好なんです」

 

 

 声も大きい。小川信幸さん(52)が、ジーンズメーカー・エドウインの常務取締役だったとはとても思えなかった。

 

「親戚のお姉ちゃんがジーンズ好きで、子供心にもすごくカッコよかった。小学校1年生のときに、初めて狭山市の郊外型のジーンズショップへ連れていってもらった。

 

 当時は1970年代なのでベルボトム、もしくはジーンズとジージャンのセットアップみたいな……。そこがスタートです。小学生のときからジーンズだったので、それがエドウインに入る意味では大きかったですね」

 

 ビッグジョンやボブソン、エドウインといったラベルつきのジーンズをはいている小学生は、クラスで2、3人。へんなステータスを感じた小川さんは、その後もジーンズやファッションにはまっていった。

 

 大学4年生のとき、エドウインが米国のリーを販売することになり、興味を持った。それでエドウインの入社試験を受けた。

 

「エドウイン入社は1989年。新入社員をいちばん多く採用した年。売り上げが300億円に達し、500億円を目指していました。バブルが崩壊し始める時期でしたが、ジーンズ業界は、郊外型店舗をどんどん出店していく時代。社員研修後、水戸営業所勤務となり、初めて担当したのが “マックハウス” でした」

 

 マックハウスは、靴のチヨダが展開するジーンズ中心の衣料品販売店。全国で100店舗を超えたとき、担当していた茨城エリアの3店の売り上げが、全国で1〜3位を独占したことを、上司から言われて初めて知った。

 

「それでへんに自信がついて、店頭で売れたジーンズの値札の端を取っておいてもらい、集計して管理した。売場のどこに置くと売れるかなどもわかり、楽しくて仕方がなかった」

 

 27歳のとき、突然社長に「明日から “ライトオン” を担当しろ」と言われた。ライトオンは、つくば市に本拠を置く、ジーンズ中心の衣料品チェーン店の運営会社。現在、売り上げは業界No.1だ。

 

「社長は、この会社が成長するとみていて、発注させることを最重要視していた。売場を取りにいくだけではなく、商品を発注させて年間の取引目標を設定し、ルール作り、売り上げ管理を徹底したモデルケースにすることを考えていました」

 

 30歳のときには、売り上げNo.1のマックハウスと、急成長が期待されるライトオンの本部担当責任者となった。

 

「成長企業との取引の仕組み作りを、全社的に徹底し実践する必要がありました。社長は物流の出荷システムなど10項目をクリアしないと、売り上げは伸ばせないとわかっていました。怒鳴られながら頑張った5年間でした」

 

 会社の浮き沈みとともに小川さんのエドウイン人生は続く。2009年には、美脚チノパンをゴルフ界に持ち込んで大ヒットさせ、ゴルフウエアブランドを立ち上げた。そして2010年には44歳で常務取締役に。

 

 しかし、悪夢が襲う。2011年の東日本大震災、そして2012年には、社長の証券投資の失敗による、200億円を超えるといわれた巨額の損失隠しが明るみに出た。その結果、エドウインは2014年に創業者一族の手を離れ、伊藤忠商事の子会社となった。

 

 2017年8月にエドウインを辞めた。

 

「最大の転機。ただアパレル業界にはいたかったし、物作りにだけはこだわりたかった。9月に起業し、パームスネイクというブランドを作りました。ロゴマークは僕が描いたもの。巳年生まれなので、生命力が強くて、お金が貯まるといわれる蛇にあやかりました」

 

 今春から発売されたシャツやパンツは、小川さんのこだわりが生かされていて、やや高めでアイテム数も少ないが、売れ行きは好調だ。

 

「あの事件がなかったら? 今でも、エドウインで汗を流しているかな」

 

 エドウインとは、業務委託契約で仕事上の関係が続いている。

 

(週刊FLASH 2018年9月4日号)

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