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吉本興業の元芸人「笑い」を武器にサプリメント会社の社長に

ライフ・マネーFLASH編集部
記事投稿日:2018.09.27 11:00 最終更新日:2018.09.27 11:00

吉本興業の元芸人「笑い」を武器にサプリメント会社の社長に

 

 かつては吉本興業に所属し、大阪ではテレビにも出るお笑い芸人だった。いまは、妊活のサプリメントなどを製造・販売する会社の社長である。実家は中華料理店だったので、跡を継いだわけではない。上山永生さん(44)は畑違いの道へ進んだが、「笑い」という共通項があった。

 

 

「人を楽しませるのが好きで、高校を卒業して大阪の吉本に入り、24歳のときに東京に移りました。会社が本格的な東京進出を始める前です。吉本の劇場は『銀座7丁目劇場』があるだけで、そこにロンドンブーツなどとよく出演していました。

 

 生まれも育ちも大阪ですから、言葉も文化も違う東京に移るのは正直イヤでした。

 

 コンビで漫才やコントをしていましたが、当時は大阪弁でしゃべるとテンポが速すぎて、東京のお客さんは聞き取れないんですね。大阪でいちばんウケていたネタをやっても、くすりともしない。えらいところに来てもうた、と思いました」

 

 笑いの質が違った。大阪の客がおもしろさを求めているのに対し、東京の客は楽しさを求めていた。大阪特有のツッコミの文化もなかった。

 

「ネタがおもしろくなければ大阪ではウケませんが、東京ではへんな話、被り物をするとか、裸で出てくるとかで笑う。大阪でそれをやったら、素人がやることやと言われます」

 

 東京で頑張ったが、芽が出ることはなかった。吉本の給料とバイトでなんとか食べてはいけたが、31歳になって考えた。

 

「一人っ子なので、親に心配をかけたくはなかった。これまで好きなことをやらせてくれたけど、40歳まで同じようなことをしていたら、親は死んでも死にきれないだろう。自分の夢か親か葛藤して、親を取りました。

 

 それで、吉本のエライさんに相談に行くと『作家やったらどうや』と言われ、お笑いの作家の仕事を紹介してもらいました。

 

 でも、自分が書いたネタで人が笑いを取るのはイヤでした。それでスポーツが好きだったので、日本テレビのスポーツ局を紹介してもらい、スポーツ番組で作家として仕事をするようになりました」

 

 スポーツ番組の作家は、スポーツニュースの原稿や、スポーツドキュメンタリーのナレーションを書いたりする。

 

「スポーツはオリンピック、ワールドカップ、箱根駅伝、高校サッカー、大学ラグビーなど、定期的にイベントがあり、作家は忙しい。当時はフリーで仕事を受けていたので、ギャラはよかったんです」

 

 2008年の終わりに、大の阪神ファンとしてはこれ以上日本テレビからギャラはもらえないと、作家の仕事をやめた。そのとき知り合いの医師から、サプリメントの成分を教えてもらい、商品化を決意した。

 

 そして2009年、36歳のときに起業した。オンラインショップが流行りだしたころである。1000万円の資金を国から借りた。

 

「自営業の父の後ろ姿を見ていました。やるなら自分でと思っていたので、起業する選択肢しかありませんでした」

 

 40歳のとき、なんのために働いているのか悩んだ。

 

「売り上げをいちばんに考えるのか、お客様や社員の満足度か。結局、後者を最優先でいこうと決めました。満足感があれば、自然に売り上げは伸びるはず。そのためにもとことんいい製品、買ってもらえる製品を作ろうと。振り返ってみると、そのときが転機だったのかもしれません」

 

 現在は妊娠を望む夫婦向け、妊娠中や出産後の女性向けと、時期に応じたサプリメントを主力製品とし、自社のサイトだけで販売している。

 

「うちは新しい会社で、名前も知られていません。へたに宣伝するより、お客様を大切に思い、ファンになっていただき、口コミによる横のつながりが広がるような工夫をしていきたいと思っています。

 

 本当はマイクを通して、質のいい笑いを取っていたかった。それが製品に変わった。今はこれが、神様が与えてくれた職業です。製品を使用していただいたお客様に、心から笑ってほしい。それがいちばんの望みです」

 

 とはいうものの、お笑いにもまだどこか、未練があるそうだ。

 

(週刊FLASH 2018年9月25日号)

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