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山下達郎の大ブレークを間近で見てきた男が語る、人生の転機

ライフ・マネー 投稿日:2018.10.04 11:00FLASH編集部

山下達郎の大ブレークを間近で見てきた男が語る、人生の転機

 

 日本の音楽シーンの流れは、大雑把にいえばその主流が演歌、歌謡曲からフォーク、そしてニューミュージック、ロックへと移り変わってきた。

 

 

 吉澤博美さんは、レコード会社のスタッフとして、その時代の流れをつぶさに見てきた一人である。

 

「僕の最初の転機は、大学時代にアマチュアバンド『スモーキー・メディスン』の演奏を聴いたとき。このバンドはギター:Char、ボーカル:金子マリ、ベース:鳴瀬喜博(のちにカシオペア)、ドラム:故藤井章司(のちに一風堂)、キーボード:佐藤準(のちに作曲家)というすごいメンバー。

 

 僕も当時バンドをやっていましたが、演奏力や音楽の知識など生半可なことでは駄目だと思い知らされました。東京ではこれが普通なんだと思った。あとで特別に凄いバンドと知りましたが、それでプロになるのはあきらめて、スタッフの道へ。結果、それが大正解でした」

 

 音楽に関わる仕事はプロダクション、レコード会社、イベンターなどたくさんあった。しかし、音楽に密接に関係しているということで、レコード会社のRVCに就職した。

 

「20代のころは演歌や歌謡曲、アイドルが売れていた時代で、会社のRCAレーベルでは西城秀樹や前川清、和田アキ子、藤圭子など。新しい流れではフォークが全盛で吉田拓郎、井上陽水、オフコースなどが売れていた。僕はポップス・ロック担当だったので、厳しい時代でした」

 

 しかし、ポップスの時代は近くまで来ていた。吉澤さんは20代で山下達郎と出会い、28歳のときに、山下が『ライド・オン・タイム』で大ブレイクした。

 

 翌年、山下は竹内まりやなどと新レコード会社「アルファムーン」を設立。吉澤さんはRVCを辞めて新会社に移った。

 

「達郎さんには新しい音楽ビジネスの考え方を教えてもらいました。それでアーティストファーストの時代が来る、と思いました。印税契約や著作権など、次の時代の音楽ビジネスの環境を勉強させてもらった。それが今でも役に立っています。

 

 僕にとってもうひとつの転機は35歳のとき。自分の本当の実力や評価がわからなくて、あらためて自分を試してみたかった。そんな折に古巣の会社から『戻ってこないか』という誘いを受けました。

 

 ちょうど、RVCもドイツの会社と合併し『BMG』になった。それで移籍してプロデューサー的な立場で、バンドやアーティストの発掘と育成、宣伝や制作、プロダクションとの交渉に関わりました」

 

 2008年、BMGジャパンはソニー・ミュージックエンタテインメントの完全子会社となった。その前に社長から「吉澤、今からソニーへ行ってもいる場所がないし、音楽の仕事をやらせてもらえるとは限らないぞ」と言われた。

 

 そして退職金を提示された。いい額だった。ソニーの名刺か、退職金か悩んだが、早期退職を選んだ。BMGには20年間在籍し、最終ポストはRCAレーベルの本部長だった。

 

「55歳で会社を辞めて、小さな会社を作りました。不安でしたが、不思議なもので、行動を起こすと仕事が来るようになった。

 

 そのひとつがアミューズの業務委託で、レコード会社に対するアーティストの窓口を委託されました。その後も、角松敏生やBUCK‐TICKなどのアドバイザーや、韓国のレコード制作の仕事を委託されたりしています」

 

 2018年、二子玉川に120人収容のライブハウス「GEMINI Theater」を開いた。Charやダディ竹千代などの昔の仲間たちと、同世代の人たちが活動できる場を作ろうとの思いからだ。

 

「頭脳警察、プリズム、金子マリやムーンライダーズの白井良明など、60歳から70歳前後の方々に出演していただいている。もちろん若い人たちも出演していますが……」

 

 今は66歳だが、下の子供がまだ中学生なので、もうしばらくは働く姿を見せておきたいそうだ。

 

「次の転機は70歳かな? 仕事をしているとチャンスは必ず来る。すぐに行動が起こせるように、まずは体を鍛えて、70歳での新たなビジネスに備えたい、なんちゃって!」

 

(週刊FLASH 2018年10月2日号)

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