今度はアイスピックに似た形状の道具が現われた。髷棒である。髪を髷棒で擦るようにして、左右のバランスを整えていく。
「この髷棒、バイクのスポークを削って作るという噂を聞いたんですが、本当ですか?」
僕はまさか事実ではあるまいと恐る恐る聞いた。床仁さんはあっさり肯定した。
「ああ、そういう人もいます。自分でそれぞれ作るんです。私の髷棒は、ピアノ線をグラインダーで削って作りました」
「この持ち手の部分は?」
「それはペンのお尻です」
「ペンのお尻……」
困惑して見つめる僕に、床仁さんは照れたように言った。
「ぴったりはまったので……」
要するに使いやすければ何でもいいらしい。
「竹の筒を使う人もいますね。太さも長さも、その人の好みに合わせて作るんです。長く使っていると少しずつ削れていくので、その場合は作り直しますが、一生に一、二回くらいでしょうね。人から貰うこともありますよ」
髪をすく三種類の櫛(くし)は配給され、油などは力士が買ったものを使うそうだ。
「この櫛は、どうして汚れたままなんでしょうか」
僕は道具箱の隅にあった小さい櫛に目をつけた。櫛の根のあたりに髪の毛がたくさん絡みついている。掃除しないのだろうか。
「汚れを取るためです」
「汚れてますが…」
しばらく嚙み合わなかったが、すぐに謎は解けた。力士の髪に埃やふけなどのゴミがついていることがある。取り除くのは普通の櫛では難しいが、根のあたりに髪の毛をあえて結びつけた櫛を使えば、毛に吸着させて取り除けるというわけ。床仁さんの工夫の一つだ。
「作業で使う紐もね、靴紐を使う人もいますし、私はサラシの布を巻いて作ってますね。元結いに使う紙紐? あれは、買ってきます」
職人芸と呼ぶべき技術だが、伝統でがんじがらめというわけではなく、個人の工夫がたくさん込められている。そんなところも含めて一つの文化なのだろう。
床仁(とこじん)本名・熊西一郎
1966年生まれ 東京都葛飾区出身。一等床山。中川部屋所属
二宮敦人(にのみやあつと)
1985年生まれ 小説作品に『最後の医者は雨上がりの空に君を願う』。初のノンフィクション作品『最後の秘境 東京藝大 天才たちのカオスな日常』が12万部を超えるベストセラーに
(週刊FLASH 2018年9月25日号)