「あんな車が好きだわ」
ある日、妻の副社長が呟いた。本社ビルの窓から見えたのは、真っ赤なフェラーリのテスタロッサだった。
「『1930年代の車を作るのは難しいが、現代の車を作るのは簡単よ』と言ったら、『作ってよ』と。ほったら、俺も作れんとは言えなくなってしまって。スーパーカーを作ることになったわけよ(笑)」(進会長、以下同)
富山の小さな工場で、ゼロからスーパーカーを作る。ドラマ『下町ロケット』のような夢物語が始まった。
「開発に年間2億円の予算を割いたけど、5年かかった。このころには、会社内でも『もう開発部を潰せない』という雰囲気があった。
儲けを考えたらできない。とにかく、作りたいという一心で続けた。開発費の10億円を回収する発想はまるでなかった」
2006年10月、純日本製のファッションスーパーカー「オロチ」が誕生。大蛇をイメージしたフェイスは、世界中に衝撃を与えた。
「『オロチ』のおかげで、うちは海外でも知られるようになった。自動車作りは夢がないとつまらん。人間と同じで、色っぽさが大事。
50年間続けてこられたのは、みんな(他社)が儲からないとわかっていることをやったから。日本ではなかなか、メーカーごっこができんのよ」
光岡自動車グループは、輸入車販売業を中心に年商231億円(2017年)を誇る。その7.5%を売り上げる開発事業部が、夢の車を作り続けている。
「宇宙の法則は『78対22』。俺は22の意見を尊重する。絶対損する、と言われるほうがじつは正しいんよ。商売は危険なことをやらなきゃいかん。断崖があるから行かないのではなく、行ってみて、突破する可能性を見つける」
本誌は富山の横野工場を訪ねた。車は一台一台、手作業で丁寧に組み立てられていた。生産台数は1日1台。これこそが、「光岡品質、光岡プライド」だ。
(週刊FLASH 2018年11月27日号)