「家、ないんですよ」
こう言うと、大抵は「触れてはいけないところに触れてしまった」という空気になる。早くに親を亡くした人に家族の思い出を聞いた時のような申し訳なさというか、「しまった」という表情になるのだ。
そうでなければ、落語家特有の冗談と解釈して流そうとする。流しにかかった相手には駄目を押す。
「本当に家ないんですよ。今日帰らなくていいのでオール行きますか? 明日の夜、落語会があるのでそこまで行けますよ!」
家がないことを冗談にされるのは心外だから、空気が悪くなってもわからせる必要がある。
家がない=どこかに人間的な重大な欠陥がある――そう思い込んでる人の価値観を壊すのが楽しくてしょうがないのだ。
ここから私のプレゼンタイムがスタートする。
いかに家がないことにメリットがあって、この暮らしを成り立たせてる「私が」凄いのか。まあ、大半は「想像よりヤバイ人なのかも」と距離を置かれるのだが、中にはある一定の評価をしてくれたり、ごく稀に崇拝と思われる視線を向けられることもある。
私は家がないので、もちろんタンスも持っていない。では、どうやって生活しているのか。
全ての服を捨てたとしよう。丸裸である。このままでは外出できない。今日でなくても、近い将来外出しなければならなくなる。
さあ、ネットショッピングの始まりだ。外出のための服(下着を含め)を注文してみる。最低限ということを遵守すれば、必要な服一式、かなり安く手に入るハズだ。とりあえず常識の範囲内で外に出られればいいのだ。オシャレだとか、耐久性など考える必要はない。
これをベースにして考える。衣替えなんてことは気にしなくていい。ワンシーズンで全て捨ててしまおう。
でも、また来年も着るから……などと考える人は、どうせ来年になったら新しいジャケットを買っているのだ。去年の服はもう着ない。
こうやって、ゼロから足し算していくのだ。上手く工夫すれば100円ショップで全て手に入るのが、今の時代の衣料事情なのだ。
シーズンごとに服を捨てていれば、自分が本当に必要なモノがわかってくる。最終的にはタンスが不要になるのだ。
私にとってのタンスはアマゾンだ。必要な衣服だけ注文して、使ったら捨てる。洗濯だってほとんどしない。定住してるわけではないので荷物は最小限だ。
このように衣服を減らせると最小限の単位が変わってくる。着替えに自分の人生をどれだけ左右されていたかがよくわかるのだ。
家がないから、泊まるのはホテルだ。
次に泊まる予定のホテルに、アマゾンから衣服が届いている。今日までの服はそこに脱ぎ捨てて、新たなシャツで次の仕事場に向かう。
アマゾンタンスもこなれてくると、新しい使い方が見えてくる。
下着はこまめに買うことになる。ならば大量に買えばいい。探せば中国の業者が安く出していることがある。この時にまとめ買いをして、アマゾンの倉庫に全ての在庫を送っておくのだ。
そしてアマゾンに売り物として出品する。買った時の倍ぐらいの値付けでいいだろう。もう、こんなのは適当である。この下着を自分で買うのだ。ついでに誰かが買ってくれるかもしれない。
これは商売ではない。だから利益率とか考えなくていい。うまくいけば小遣い稼ぎぐらいにはなるかも……程度でいいのだ。
便利な世の中である。
この便利さを十分に活用すれば、今までの概念を壊す新しいライフスタイルを手に入れることができるのだ。
※
以上、立川こしら氏の近刊『その落語家、住所不定。~タンスはアマゾン、家のない生き方~』(光文社新書)をもとに再構成しました。人気若手落語家でありながら、家さえ持たない究極のミニマリストである著者が、自らの生き方哲学と実践を初めて明かします。
●『その落語家、住所不定。』詳細はこちら