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結婚も仕事も「すべて3秒で決める男」PRマンガ事業で大成功
ライフ・マネーFLASH編集部
記事投稿日:2019.02.14 11:00 最終更新日:2019.02.14 11:00
「人生の大きな節目は、3秒で決断」
そう語るのは岡崎充さんだ。その理由とは……。
「最初の大学に入って45日でやめました。その決断は3秒。そして次の日に外資系企業の営業部に入り、3カ月勤めて、辞めるときもまた3秒で決めました。
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それで、今度は中央大学理工学部に入り直したのですが、遠回りしたと思うようなことはない。
普通、やめるときって悩んだり、人に相談したりしますよね? あれはダメですね。答えは自分の中にしかない、特に人生の問題は!」
中央大学を卒業して、1980年にヤマハ発動機に入社。当時は景気がよかった。しかし一方で、オートバイのシェアを競うホンダとヤマハの、いわゆるHY戦争があった。
入社3年めのとき、全国に営業所が100カ所あって、営業マンが1000人いた。東京の城東営業所といういちばん大きな営業所に配属された。営業マンになるからにはトップセールスマンになって、将来、本社のマーケティング部に行きたいと考えていた。
「3年めのある日、『強がっていたけど本当は弱い人間だな』と確信した。当時は夜討ち朝駆けですから、注文を待つのではなく、売り込みに行く。悪くいえば、ぶち込むという感じ。
お前は今月300台、お前は500台、お前は700台と割り当てられる。ホンダとヤマハの戦争のなか、ある一定以上『押し売る』ことが、僕にはできなかった」
弱さを自覚したその日の夜、夜中にパッと目が覚めた。すると神様みたいな存在が見えた。
「お前、結婚していいぞ」
「エー、結婚ですか?」
「そうだ、誰とする? 本音を言ってみろ!」
つき合っていた女性もいたが、あらためて結婚ということだと……3秒考えた。
「経理のKさん」
「お前は将来社長になるとか起業すると言っているな。では、社長になるのに大事なものとはなんだ!」
「決断力と行動力」
「ではもし、そのKさんと結婚できたとして、将来うまくいかなくなったら、二度と社長になるとか言うなよ」
夢か現か幻か、不思議な体験だった。翌日、Kさんにデートを申し込んだ。そして初デートの日。
「あなたがいてくれたら、僕は夢をかなえることができます。僕の夢に賛同してくれませんか。小さくてもいい、世の中にないオンリーワンの会社を作りたい。そのためにはあなたの力が必要なんです。そう言うと彼女は、『いいです』と言ってくれた」
それから半年後、28歳のときに結婚。つい先日、35周年を祝った。
ヤマハ発動機では、念願の本社のマーケティング部に配属された。大きなプロジェクトをまかされ推進したが、母の病気がすべてを変えた。
九州から名古屋に呼び、病院の簡易ベッドで1カ月近く母と生活をともにし、最期を看取った。大企業に勤めることは、母の願いであったが、意味がなくなった。
3秒で会社を辞めることを決め、新たな世界へ飛び出した。東京に進出した博多ラーメンチェーンのフランチャイズ本部を経て、コーヒー豆の焙煎販売業を始める。
だが、損失ばかりで、短期間で閉業する。ヤマハ時代からついてきてくれた後輩に、次に何をするか尋ねられたときに、口をついて出たのが「漫画!」だった。
「結婚式で、2人の馴れ初めを漫画で紹介したらおもしろいと思わないか? 日本経済新聞の『私の履歴書』の漫画版があったら、どうだ?」
だが現実問題としては、漫画家にツテがあるわけではなかった。創業3カ月後、後輩が打開策として、「宣伝会議」に広告を出すことを提案してくれた。1988年のことであり、それが最大の転機となった。
告知広告が出ると電話は鳴りっぱなしで、即受注の案件ばかり。客ばかりではなく、漫画家やスタッフからもどんどん問い合わせが来た。
PR誌の全盛期という時代背景もあったろう。漫画に特化して見事に時代を切り拓いていったのである。いまや漫画、イラスト、アニメを活用した宣伝素材制作では日本一の実績を誇る。企業のみならず、官公庁や自治体のパンフレットに載せる漫画も制作している。
それにしても、明るくて清潔で、やさしさを感じるオフィスだ。この洒落た環境から、どんな漫画の世界が生み出されるのか注目したい。
(週刊FLASH 2019年2月19日号)