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佐川急便で月収85万だった男、志を認められ蕎麦店を開く

ライフ・マネー 投稿日:2019.02.28 06:00FLASH編集部

佐川急便で月収85万だった男、志を認められ蕎麦店を開く

 

 子供のころから年子の兄との待遇の違いなどから、望まれて生まれてきたのではないことを感じていた。親戚からは拾ってきた子だとも言われた。

 

 高校卒業後は専門学校へ入ったが、ほとんど通わず、居酒屋のアルバイトをしていた。出生に関する秘密を感じていた石原誠二さん(53)は、早く家を出たかった。20歳で結婚、独立した。

 

 

「いろいろなバイトを経て、23歳のころに佐川急便に入りました。同社では走ってまわって、仕事が早いと有名になり、売り上げが全国1位で表彰されたことがあります。

 

 主任にもなって、20代で平均月収が85万円に。でも、20代半ばごろに、最初の妻と離婚。しばらくは、妻や3人の子供の面倒を見て、その後も養育費を払ったりしていました。

 

 そのころには、新たな妻との生活もありましたから……。『体を悪くするから』と仲間たちから言われましたが、体力には自信があったし、子供もいたので、必死に働きました」

 

 20代後半に、いつまでも体力勝負はできないと感じ、技術を身につけたいと思うようになった。ペン習字、ガラス細工、陶芸などを調べた。たどり着いたのが蕎麦だった。

 

「25年ほど前、保谷市(現・西東京市)にある『ほしの』という店へ行きました。住宅街なのに開店前から人が並んでいる。食べて、これが蕎麦かと感動しました。

 

 これが作れたら、と思ったのが蕎麦を始めたきっかけ。その後、弟子入りを頼みましたが断わられ、代わりに片倉康雄先生の蕎麦教室を紹介していただきました」

 

 片倉康雄氏は近代蕎麦の始祖、神様と呼ばれた人物だ。だが、神様から学ぶことはできなかった。教室が開かれるのを待つ間、片倉氏は91歳で亡くなった。

 

 それで、1カ月間「源氏庵」という蕎麦教室へ通い、蕎麦打ちを身につけた。その後、八王子にある名店「車家」に、3年間修業に入った。

 

「すでに修業中の先輩が7人。給料は月15万円。到底やっていけませんが、2番めの妻が『3年間は私が面倒を見る』と言ってくれた。妻は、通勤時間が1時間以上も長くなるのに、川崎から八王子への引っ越しにも賛成してくれました。

 

 7人の先輩たちに『早く追いつけ追い越せ』と、懸命に頑張りました。ただ3年間のうちの2年半は、ずっと洗い場専門。高価な器なので全部手洗いです。

 

 80席分の洗い物をうまくまわしていくのはたいへんで、経験がないとできません。それを『車家』の社長は見てくれていたのだと思います。

 

 しかし独立を前に、まだ蕎麦がきもできないし、玉子焼きも巻けない。休み時間に天ぷらの練習をし、バイト先の和食レストランでも練習をしました。

 

 修業を終えるとき、社長から言われました。『俺と3年間、我慢してやってきたのだから、仕上がっている。技術なんてやっていれば必ず身につく。全部できる人間を作るより、何もできなくても志がある人を作るほうが、商売は成功する』」。

 

 こうして33歳のとき、世田谷税務署前のマンションの1階に、11坪の「石はら」を開店した。母と国民金融公庫から、1000万円ずつ借りた。店は順調に売り上げを伸ばしたが、7年後に大家が亡くなり、新しい大家が、マンションの建て替えを提案してきた。

 

 残るか出るか迷ったときに、店から歩いて数分のところにあった蕎麦屋が閉店することになり、運よく借りることができた。そこを改築したのが、現在の「蕎麦石はら世田谷本店」である。

 

 前の店に比べて広く、営業努力もあって、売り上げは以前の2倍、3倍と増えた。その後、学芸大学店、仙川店を出店し、2017年は本店の近くに「イタリ庵蕎麦石はら」を開店した。

 

 ところで出生の秘密だ。貧しさゆえに、母親は親族から出産を猛反対された。だが、母親は反対を押し切ったため、石原さんはこの世に生を受けることになった。母が必死の思いで出産した事実を知ったのは、35歳のときだった。

 

 現在「石はら」では、両親をはじめ最初の妻との2人の息子、2番めの妻との2人の娘がスタッフとして働いている。まさに家族経営だ。今朝も石原さんは、石臼で蕎麦を挽いている。

 


(週刊FLASH 2019年3月5日号)

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