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日本の聖地を行く/京都・稲荷山どこまで続く千本鳥居
ライフ・マネーFLASH編集部
記事投稿日:2019.03.04 16:00 最終更新日:2019.03.04 16:00
日本の各地には数多くの聖地が存在している。近年では「パワー・スポット」ということばが生まれ、若い人たちを中心に関心を集めているが、パワー・スポットの多くは従来なら「聖地」と呼ばれていた。
そんな日本の聖地を、宗教学者の島田裕巳が旅をする。
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江戸時代には、江戸に多いもののたとえとして、「伊勢屋、稲荷に犬の糞」といった言い方がされた。それほど江戸の街では稲荷信仰が盛んで、至る所に稲荷社が祀られていたことになる。
実際に稲荷山に入ってみるまで、そこがどういう場所なのか、私たちにはほとんど知識がなかった。朱色の千本鳥居が立ち並び、狐の置物がおかれていることは予想できたが、思っていたのとはかなり違った。
千本鳥居にしても、その数の多さは想像をはるかに超えていた。私たちは、無限に続くかと思えるほど数の多い千本鳥居を通り抜けていき、やがて、「お塚」と呼ばれる石塔がところ狭しと祀られている光景を目の当たりにした。
お塚は、ちょうど墓石のように石を積み上げた壇の上に載せられている。その前には石の鳥居や、やはり石でできた狐が祀られていて、灯した蠟燭が風で消えないようにする石造りの覆いなどもあった。狐には赤いよだれかけがかけられ、木製の小さな朱色の鳥居も奉納されていた。
お塚の石には、それぞれ「白菊大神」やら「末広大神」やらといった神名が刻まれていた。全体は雑然としていて、次々とお塚が建てられていったことがわかったが、なかには相当に規模の大きなものもあり、お塚の上にそれを覆う形で社殿が設けられているようなものもあった。
奉納されたものを見るかぎり、それぞれのお塚には特定の信仰者がいて、盛んな信仰を集めているものもあれば、ほとんど打ち捨てられた状態のものもあった。
稲荷山のような場所は、それまで見たことも聞いたこともなかった。訪れたのが格別行事もない普段の日で、訪れる人もごく限られていたことが影響したかもしれない。私たちは、お塚ばかりの異様な光景に接して、しばしことばを失った。
伏見稲荷で重要な役割を果たしているのが朱の鳥居、千本鳥居である。
なぜ朱なのかということについても議論があるが、その色の鮮やかさは際立っている。稲荷山に登ると、まず出会うのがこの朱色の千本鳥居であり、それはすき間なく立ち並んでいる。しかも、途中では二筋に分かれるところもあり、どこまでも朱色のトンネルが続いていくのではないかと思わせる。
こうした千本鳥居は、すべてが信仰者から奉納されたもので、柱の表には「奉納」と記されている。そして、鳥居の裏には、奉納者の名前とその年月日が記されている。
鳥居は木製で、本来なら時間が経てば朽ちていくものである。ところが、いつ訪れてもそうだが、朽ちたような鳥居はなく、どれもその鮮やかさを保っていた。
そこで奉納された年月日を確認していくと、すべてが平成になってからのものだった。昭和と記されたものは、私が確認したかぎり1本もなかった。なかには、古い年月日が記された石の鳥居もあったが、木製の鳥居にかんしては、すべてが最近奉納されたものであった。
また、それぞれのお塚には、小さな鳥居が奉納されるが、それにも年月日が記されている。こちらになるとごくごく最近のものばかりで、数日前のものしか見かけないお塚もあった。次々と奉納され、すぐに撤去されていく。それが毎日のようにくり返されているのだろう。
稲荷信仰は、現代においても連綿と受け継がれ、かえって昔より盛んになっている。実際、最近建てられたお塚も存在する。
今回、久しぶりに稲荷山を訪れ、全体をめぐったが、以前の雰囲気と大きく変わっていることに驚かされた。訪れたのがたまたま週末の土曜日で、天気も良かったせいか、若い世代の姿を多く見かけた。
家族連れ、小さな子どもを伴った若い夫婦が多く、年配の人たちはむしろ少なかった。稲荷山全体をめぐるには2時間くらいはかかる。彼らは一種のハイキングの感覚で登っているのかもしれないが、わざわざ稲荷山を選択するということが興味深かった。
ほかに、外国人の一行や若いカップルが多かった。かつて感じたようなおどろおどろしさはすっかり消え失せていた。同じ稲荷山が、この30年のあいだにまるで違うものになってしまったように感じられたのである。
平日にそこを訪れたのなら、昔と似た光景にめぐりあうのかもしれない。それはまだ確かめていないが、もしかしたら、稲荷山を訪れる人の変化は、日本人の信仰のあり方が大きく変わりつつあることを象徴しているのかもしれない。
パワー・スポットのブームの担い手も若い世代である。日本では、信仰と言えば、年取った老人のためのものというイメージが強かったが、実は大幅な世代交代が起こっているのではないか。少なくとも、聖地と呼ばれるような場所を訪れるのは、年配の世代よりも若い世代になりつつある。
若いカップルや家族連れが強い信仰をもっているとも思えない。だが、若い頃からそうした世界にふれておくことの影響は小さくない。果たしてそれが日本人の信仰全体をどのように変えていくか。その答えは見いだされていないが、その点は十分に注目されるのである。
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以上、島田裕巳氏の近刊『日本の8大聖地』(光文社知恵の杜文庫)から再構成しました。日本の聖地の知られざる謎に迫ります。
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