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日本の聖地を行く/絶海の孤島にある福岡・沖ノ島に上陸成功
ライフ・マネーFLASH編集部
記事投稿日:2019.04.01 16:00 最終更新日:2019.04.01 16:00
日本の各地には数多くの聖地が存在している。近年では「パワー・スポット」ということばが生まれ、若い人たちを中心に関心を集めているが、パワー・スポットの多くは従来なら「聖地」と呼ばれていた。
そんな日本の聖地を、宗教学者の島田裕巳が旅をする。
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日本の聖地をめぐる旅の最後を締めくくったのが、玄界灘に浮かぶ孤島、沖ノ島であった。ただ、訪れるとは言っても、沖ノ島は簡単には行けない場所である。玄界灘の沖にあって、定期的に船が行っているわけではない。そうした交通上の問題もあるが、そもそもそこは特定の人間しか上陸できない場所なのである。
沖ノ島には、福岡県宗像市にある宗像大社の沖津宮が祀られている。宗像大社は、
・宗像市田島の辺津宮
・その沖合いにある筑前大島の中津宮
・沖ノ島の沖津宮
からなる三神一体の構造をもつ神社である。
宗像大社の神職が沖ノ島にわたって行う祭祀は、相当に厳粛なものである。中津宮がある大島を出発する際には、毎朝禊をした。その上で船出の吉凶を占い、出と中と著、つまりは出発と航海中、そして着船がすべて吉と出なければ船を出さなかった。玄界灘は荒海である。
沖ノ島における考古学調査は3次にわたって行われ、この調査を通して島内にある二十数ヵ所の祭祀遺跡が発見され、発掘された遺物の数はおよそ8万点に及んだ。そこには、中国や朝鮮半島からの舶載品、ササン朝ペルシア製と考えられるガラス碗も含まれていた。いずれも国宝に指定された。
出土品は古墳時代から平安時代のもの、つまりは4世紀から10世紀までのものだが、学者のなかには最近、3世紀まで遡るのではないかという説を立てる者もいる。3世紀となれば、邪馬台国の存在した時代と重なる。
沖ノ島は現在でも女人禁制の島とされ、女性が上陸することはできない決まりになっている。男性でも、宗像大社の許可を得なければ島に上陸することはできない。
これまでは一年に一度、5月27日の現地大祭の時には200名ほどが上陸を許され、沖津宮に参拝することができた。ただし、平成29年に沖ノ島が「『神宿る島』宗像・沖ノ島と関連遺産群」として世界遺産に登録されたのを契機に、一般人の上陸は原則禁止となり、この行事もなくなった。
しかし、たとえ上陸できないにしても、沖ノ島の近くにまでは行ってみたい。そこで私は海上タクシーに乗り込み、現地をめざすことにした。
海上タクシーは数人乗りの高速艇で、大島から沖ノ島まで1時間強で行くことになるが、それを利用するのは、沖ノ島の社務所に交替で派遣される宗像大社の若手の神職と、釣り客に限られる。
私たちはまず海上タクシーで、宗像市の神湊港から筑前大島へ渡った。中津宮に参拝するためである。大島までは15分ほどで、それほど波も高くなかった。大島を出港してからしばらくの間も、やはり波はそれほど高くはなかった。
だが、港を離れ外海に出ていくと、波が高くなり、船は相当に揺れた。覚悟はしていたものの、高い波の上に乗り上げるようなこともあり、船は海に叩きつけられた。海上タクシーのスピードは速く、かなり遠くに見える漁船を次々と追い抜いていった。飛び魚の群れが波の上を飛んでいく姿もとらえることができた。
しばらくすると、前方に沖ノ島の姿がかすかに見えるようになった。船室越しで、しかも船が激しく上下するので、島影は見えたり、見えなかったりした。
後部にはデッキがあるが、揺れが激しいため、そこへ出て島の方向を見つめるわけにもいかなかった。船酔いすることはなかったが、いったいいつまでこの揺れが続くのか不安に思いながらも、揺れに身を任せているしかなかった。
それでも1時間が過ぎると、島影はかなり大きくなり、その全体を視野にとらえることができるようになった。沖ノ島はまさに絶海の孤島である。
現代の高速艇なら、いくら激しく波に揺れても、一時間強で沖ノ島に行くことができる。だが、昔は小さな船で渡るしかなかった。漁師なら、海にも慣れていて、良好な漁場がありさえすれば、小舟を操ってでも島まで渡っていくだろう。
だが、なぜ古代の人々はそんな絶海の孤島で祭祀を営もうと考えたのか。外部から祭具を持ち込んだのであれば、それはかなりの量に及ぶ。逆に、絶海の孤島であるがゆえに、そこが祭祀の場所として選ばれたのであろうか。
沖ノ島には船着き場があり、埋め立てられた部分には上陸することができた。社務所には、神職が一人いたが、外で平服で作業をしていた。左奥には鳥居が立ち、その向こうに沖津宮があるようだが、特別な許可を得ていない私たちは、島のなかにまで入ることはできなかった。
帰りの船のなかで私は、ずっと沖ノ島のほうを見続けていた。しだいに島は遠ざかっていく。おそらく、そこで祭祀を行った古代の人間なら、私などよりはるかに視力が良く、港に帰り着くまで、ずっと島影をとらえていたことだろう。だが、島影はしだいに私の視界からは消えていった。消えるまでずっと見続けていたが、やがて水平線と区別できないものになっていった。
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以上、島田裕巳氏の近刊『日本の8大聖地』(光文社知恵の杜文庫)から再構成しました。日本の聖地の知られざる謎に迫ります。
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