最新号紹介

毎週火曜日発売

通巻1556号
4月21日号
4月7日発売

詳細・購入

最新号紹介

FLASH DIAMOND

11月15日増刊号
10月15日発売

詳細・購入

FLASHデジタル写真集

FLASHデジタル写真集

【第32弾】3月27日より好評発売中!

詳細・購入

ライフ・マネーライフ・マネー

ライフ・マネーライフ・マネー

名経営者は「焼け跡」で何をしたのか/ホンダライフ・マネー 投稿日:2019.08.18 06:00

 

名経営者は「焼け跡」で何をしたのか/ホンダ

ホンダ本社(写真AFLO)

 

 終戦を迎えたとき、本田宗一郎(当時38)は浜松の東海精機重工業の専務だった。

 

 浜松は空襲と艦砲射撃で焼け野原になっていた。戦火を生き延びたのは、駅前の3本の木だけだったといわれている。そんな状態で、東海精機はトヨタに売却される。本田は「人間休業」と称して1年間の休養に入った。

 

 

「本田宗一郎は、合成酒を作ったり、製塩機を作って海水から塩を作ったり、さまざまなことにチャレンジしていました」(経営評論家)

 

 1946年、浜松で本田技術研究所を開設。このころ、旧陸軍の無線用発電機を手に入れ、改造したエンジンを自転車に取りつけたのが、ホンダのオートバイの原型となった。

 

「走るときの音から『バタバタ』と呼ばれていた。買い出しのときにこれに乗っていたのが、さち夫人ですが、彼女が最初のテストドライバーということになります」(前出・経営評論家)

 

 1948年9月、41歳で浜松に本田技研工業を設立する。ホンダの歴史は資本金100万円、従業員20名の町工場から始まった。1949年、初の自社設計エンジンを搭載したドリーム号D型の生産が始まる。

 

 1950年、東京・京橋に営業所を開設した。そして1952年、自転車用エンジンを搭載したカブF型を発売、これが世界的ベストセラーとなった。ここから本田の挑戦が本格的に始まる。

 

 本田の「不可能という言葉はあり得ない」「常識を破る。そのことでしか会社の永続はない」「絶対に模倣はしない、どんなに苦しくても自分たちの手でやる」という言葉こそ、いまに続くホンダ・スピリッツなのだ。

ライフ・マネー一覧をもっと見る

ライフ・マネー 一覧を見る

今、あなたにおすすめの記事

最新号紹介

グラビアBEST

2020年早春号
3月23日発売

詳細・購入

最新号紹介

PlatinumFLASH

2月14日発売
表紙:伊藤純奈、北野日奈子、佐々木琴子、新内眞衣、鈴木絢音、寺田蘭世、堀未央奈、山崎怜奈、渡辺みり愛

詳細・購入