ホンダ本社(写真AFLO)
終戦を迎えたとき、本田宗一郎(当時38)は浜松の東海精機重工業の専務だった。浜松は空襲と艦砲射撃で焼け野原になっていた。戦火を生き延びたのは、駅前の3本の木だけだったといわれている。そんな状態で、東海...
ライフ・マネー 記事投稿日:2019.08.18 06:00 最終更新日:2019.08.18 06:00
ホンダ本社(写真AFLO)
終戦を迎えたとき、本田宗一郎(当時38)は浜松の東海精機重工業の専務だった。浜松は空襲と艦砲射撃で焼け野原になっていた。戦火を生き延びたのは、駅前の3本の木だけだったといわれている。そんな状態で、東海...
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出典元: SmartFLASH