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エキナカを作れ!プロジェクトを成功させた女性リーダー奮闘記

ライフ・マネーFLASH編集部
記事投稿日:2020.04.11 11:00 最終更新日:2020.04.11 11:00

エキナカを作れ!プロジェクトを成功させた女性リーダー奮闘記

 

 JR東日本時代にエキナカ事業を立ち上げたことで知られ、48歳で上級執行役員としてカルビーに転じた鎌田由美子さん。2019年に独立するまでのキャリアの軌跡を辿ってみよう。

 

 鎌田さんは、1989年、国鉄民営化後初の大卒採用社員として、JR東日本に入社した。ときはバブル期で世の中が浮き立っていた頃のこと。小売りでは百貨店が王者として君臨しており、JR各社はそれぞれがどこの百貨店と提携するのか検討していた。駅ビルは利便性こそ高いものの「下駄ばきビル」と揶揄されており、有名ブランドには見向きもされていなかった。

 

 

 鎌田さんは、駅、百貨店、文化施設を融合する新規プロジェクトのチームに配属された。百貨店の現場を知りたいと、配属1年ほどで手を挙げて百貨店への出向を願い出た。出向先の横浜そごうで2年間、レジ打ちの現場から友の会の運営、外商までみっちり学んだ。

 

 いざJR本社に戻り経験を生かそうと思ったところで、バブル崩壊の影響もあって百貨店との提携計画は凍結となった。駅ビルからファクスで送られてくるデータを入力して日報をつくる日々が始まった。

 

 他部署の同年代の友人らはどんどん仕事を任され、同期にはMBA留学をする人もいた。それぞれが明確に目標を定めてキャリアを重ねているようにも見え、悶々とする日が続いた。

 

 しかし、諦めなかった。「(今)できないなら、できるまで頑張ろう」と思った。どうやら20代のうちから、鎌田さんの辞書に「諦める」という文字はなかったようだ。

 

 臥薪嘗胆の時期を経て、29歳の時チャンスが巡ってきた。阪急と提携して立川駅に小型の百貨店スタイルの商業施設をつくる計画がもち上がり、そのチームに加わることになったのだ。

 

 このとき誕生したグランデュオ立川は、JR東日本としては初めての百貨店事業になる。ここで、売り場運営のマネジャー、課長職を経験し、店舗管理のノウハウを身につけることになる。

 

 35歳の時、思わぬチャンスが訪れる。のちのエキナカを開発することになるプロジェクトにチームリーダーとして異動、無からアイデアを構築することになる。ここから、「一皮むける」ことにつながるエキナカプロジェクトが始まった。

 

 いうまでもないが、そごうへの出向経験、グランデュオ立川立ち上げと、基礎固めができていたからこその飛躍のチャンスである。

 

「通過する駅から、集う駅へ」というコンセプトは、中期経営計画で決まっていた。「ステーションルネッサンス」を掲げ、駅を最大の経営資源として捉えて、ゼロベースで駅スペースの在り方を見直していくという。しかし、中身は何も決まっていない。とにかく与えられたお題は、「新しい駅づくりを考えろ」というもの。

 

 まず始めたのは、駅の現状把握。朝4時台の始発から夜12時過ぎの終電まで、師走の凍てつくなかで3日間、駅に立って人の流れを観察した。まるで雑踏のなかにいるように、利用客がまったく立ち止まらないことにショックを受ける。

 

 施設に目を向けると、売店といえばキオスクのみで、空調もきいておらず照明は蛍光灯ばかり。トイレにいくと異臭が鼻につく。立ち食いソバ店は、女性には入りにくい。

 

 こうした駅のマイナスを一つひとつ潰していくことからエキナカプロジェクトが始まった。間接照明にしたい、空調をつけたい、トイレをきれいにしたい、床のデザインを変えたい……これらを実現しようとすると、担当部署がすべて異なる。しかも仕様変更は、副課長である鎌田さんは出席できない部次長会議で決められる。

 

 上司である取締役部長に会議に出席してもらい、社内調整をしてもらった。「清掃はどうするのか」「電球はだれが替えるのか」といった細かな課題の提示から、「そもそもどんな駅にしたいのかわからない」「データをもってこい」という要請まで、疑問が噴出する社内中を根回しや調整に走り回った。社員7万人を超える大企業の縦割り組織の論理を思い知らされた。

 

 何しろ巨大な組織で、長年続いた「駅のルール」を塗り替えるのは、並大抵のことではない。駅のトイレの清潔感や快適性を上げていきたいと、百貨店のトイレを徹底的に調査した。また、エキナカの空間としての統一感をはかるために、駅構内に広告を掲載しないと提案したときも紛糾した。エキナカをつくることで駅の価値が上がり、駅全体の広告掲載料が上がると訴えた。

 

 一方で、わずか3人でスタートしたチームが組織として大きくなるにあたり、「グループ企業からの公募」を役員に提案した。「ステーションルネッサンス」はJR東日本挙げての大プロジェクト。ならばグループ会社も総力を挙げて取り組むべきだと訴えたのだ。

 

 当時の事業責任者であった副社長に頼み込み、「若い力を結集させてください」とグループ会社に協力を仰ぐ「一筆」を書いてもらった。こうして、自ら手を挙げた、やる気のある若手社員が集まってきた。

 

 問題はグランドデザインの具体化である。「自分たちが買いたい、欲しい、食べたい店」に出店してもらう。しかも経済効果が上がらなければならない。

 

 出店依頼をするにあたっては、これぞという店をメンバー全員で足で探した。渋谷の雑居ビル上層階にある、かにチャーハンで有名な店の店主を口説き落としたこともあった。評判のいいケーキ店は100店舗以上当たった。

 

 メンバーが買い集めて会議室で食べ比べ、有名ブランドにとらわれず、皆がおいしいと評価した店に足を運んで交渉した。「100個食べたなかで、御社のケーキが一番おいしかったから是非出店していただきたい」という言葉に嘘はなかった。

 

 チームで共有する方向性にブレはない。しかし、まだ誰一人として見たことのない「エキナカ」への出店交渉は難航した。手分けして何百社と回るものの、10社中9社に断られる日が続いた。「(駅構内で出店するには)労働環境が悪すぎる」「ブランドイメージが崩れる」というのだ。それでもチームのメンバーは諦めなかった。

 

 エキナカ完成の予想図を見てもらい、「駅が変わります」と、とにかく説得をした。「新しい駅づくりをするために、御社の力をぜひ貸してください」「私たちが呼び込みをしますから」といった言葉に、「最後は『根負けしたよ』という店が半分くらいでした」と笑う。

 

 売り方にもこだわった。青山フラワーマーケットの小さなブーケを斜めにラックにかけて売り出すギフトボックスは飛ぶように売れた。紙箱に入れたまま花のアレンジメントを陳列し、男性客が選ぶときも運ぶときも抵抗がないように工夫した。スイーツの平均価格は500~1200円、百貨店での販売価格より抑えて、POPやプライスも大きく見やすいものにした。

 

 こうした販売方法は評判を呼び、その後都内に広がっていった。このように、鎌田チームが編み出したヒット商品は数知れない。

 

 2005年3月に、初のエキナカ「ecute(エキュート)大宮」がオープン、6月に子会社社長に就任し、10月には「エキュート品川」を出店した。大宮開業3カ月前の年度末納会のとき、まだ出店する店舗が決まらず空白の区画があり、年末の締めの挨拶をした後に取引先交渉に向かった。

 

 メンバー全員、開業準備で奔走する。息つく間もなく2007年には「エキュート立川」を開業。「念ずれば通じる」「為せば成る」が信条と聞くと、鎌田さんの言葉だけに説得力がある。

 

 

 以上、野村浩子氏の新刊『女性リーダーが生まれるとき 「一皮むけた経験」に学ぶキャリア形成』(光文社新書)をもとに再構成しました。国内外の女性役員の「生の声」には、これからの時代を生き抜くヒントが眠っています。

 

●『女性リーダーが生まれるとき』詳細はこちら

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