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【真田信繁と真田丸その3】関ヶ原の合戦直前の徳川軍総崩れライフ 投稿日:2016.05.01 20:00

【真田信繁と真田丸その3】関ヶ原の合戦直前の徳川軍総崩れ

写真:AFLO

 

 ●2度にわたって徳川を撃破

 

 「神川合戦」の痛快  1583年、徳川の庇護の下で昌幸は上田城の築城を開始。だが1585年、家康から沼田領を北条氏に引き渡すよう命令されると態度を一変させる。「自らの力で奪い取った領地は渡せない」と言い張った。これに家康が激怒、兵を上田に送り込む事態に発展した。

 

 家康に対抗するため、昌幸は二男・信繁を越後の上杉家に人質として送り援軍を要請する。結局上杉の援軍は間に合わなかったが、昌幸はわずか2000の兵で徳川7000の大軍を打ち破ることに成功している。徳川勢を城下の深くにまで誘いこんでおいたうえで、一転して猛攻をしかけるという奇襲作戦だった。

 

“真田の戦法”とも呼ばれるこの作戦はのちに信繁が大坂の役でも用いることになる。この神川(かんがわ)合戦(第1次上田合戦)によって、昌幸の名は大いに高まった。そしてこれが徳川との因縁の始まりでもあった。

 

 昌幸は勝利に安心せず、信繁を今度は飛ぶ鳥を落とす勢いで天下統一に突き進む秀吉のもとに人質として差し出したが、その後、徳川が豊臣と和睦し服従することで三者の関係も変化。秀吉は真田を徳川の配下とすることにしたのだ。

 

 昌幸にしてみればおもしろくなかっただろうが、さすがにこの命令は無視できなかった。長男・信幸を家康のもとに差し出し、信幸は徳川家臣・本多忠勝の娘をめとっている。

 

 その間、信繁は秀吉の小田原攻めに参加、初陣ながら大きな手柄をあげたと伝えられる。

 

●東軍と西軍に分かれた父子 一族の未来をかけた究極選択

 

 1598年、秀吉が病没すると時代が大きく動きはじめる。1600年、上杉征伐のため家康が東上すると、真田父子三人も参陣した。軍勢が小山の手前、犬伏(いぬぶし)の地に駐屯しているとき、昌幸らのもとに一通の書状が届く。石田三成らが家康に対し挙兵するというのだ。

 

 これについて父子3人は話し合いの場を持ち、昌幸と信繁は西軍に、徳川との縁が深い信幸は東軍につくことを決めた。世に言う「犬伏の別れ」である。どちらが勝っても真田が生き残るため、とも言われるが本当のところは不明である。昌幸の徳川に対する不信がよほど深かったため、とも考えられる。

 

 上田城へ戻り籠城を始めた昌幸・信繁父子をそのままにしておくこともできない家康は息子・秀忠の軍勢3万8000を差し向ける。迎え撃つ真田勢はわずか3000。普通に考えれば勝ち目はない。

 

 が、またも昌幸の智謀が冴え渡る。今度も徳川勢を自陣深くまで誘いこむと、一気に反撃に転じて陣形を崩す。そこに待機していた信繁軍が横から急襲し、さらにせき止めておいた神川の水を放流することで徳川軍は総崩れとなった(第2次上田合戦)。

 

 こうして上田に足止めを食った秀忠は、徳川軍の3分の1の大軍を率いながら関ヶ原の合戦には間に合わず、父・家康の逆鱗にふれたといわれている。

 

 しかし関ヶ原において負けたのは西軍だった。徳川に敵対した昌幸と信繁は、普通であれば処刑されたはずだが、家康に可愛がられていた信幸が必死に助命を願ったことで命だけは取り留めた。領地没収のうえ、父子は高野山麓の九度山へ蟄居の身となった。

 

 このとき信繁はまだ33歳。男盛り、働き盛りである。そんな時期に自由を奪われた悔しさはいかばかりであったろうか。この後、信繁は天下にその名声を轟かせることになるが、それまでには14年という長く苦しい歳月を経なければならなかったのである。

 

●猿飛佐助が活躍、信繁は色男─ホントはどう?

 

 真田といえば猿飛佐助や霧隠才蔵が忍術を使って活躍する「真田十勇士」を思い浮かべる人も多いだろう。が、十勇士は明治以降に出版された講談本による創作であり、実在の人物ではない。当時大変な人気を集めた十勇士の物語が、今なお続く信繁の高い人気のもとになっているのは間違いない。

 

 とはいえ、このような創作のイメージを生み出したのも信繁の生き様の鮮烈さであり、それだけ日本人の心情に訴える強い何かがあるということだろう。

 

 ドラマや映画で信繁を演じるのは草刈正雄など二枚目俳優が多かった。しかし実際の信繁は、父・昌幸に似て小柄であったと伝えられるのみで、色男だったという記録はまったく見られない。

 

 人柄については「柔和で忍耐強い。口数は少なく、腹を立てることがなかった」と兄である信幸が語っている。

 

 兄・信幸はあまり語られることがないが、本来なら取りつぶされても不思議ではなかった真田家の危機を見事に乗り切り、幕末まで続く真田藩の礎を築いた手腕は見事で、一族にとっては信繁と並ぶ功労者といってもいいだろう。

 

(週刊FLASH 2009年5月12日号)

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