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【巨乳の日本史(1)】『栄花物語』に「高く盛り上がった胸」
夜バナFLASH編集部
記事投稿日:2018.04.12 20:00 最終更新日:2018.04.12 20:00
多くの日本男児が愛する巨乳は歴史のなかでどのようにして生まれ、発展を遂げていったのか。縄文時代から戦後まで、巨乳の日本史を振り返る!
「縄文時代から古墳時代に作られた土偶や埴輪には、乳房らしき胸の突起物があるものが多いです」
日本の歴史における巨乳の最初期を証言するのは、『巨乳の誕生』を執筆したアダルトメディア研究家・安田理央氏。しかし、この時代は「あくまでも性の対象ではなかった」と安田氏は言う。
「乳房は母乳を出す器官としての意味合いが強く、子供を産み育てる象徴だったのでしょう」(安田氏・以下同)
続く平安時代でも、巨乳が表現される機会は少ない。
「この時代、美術で女性の胸を題材にしたものはきわめて少ないです。文学作品での描写もあまりないので、当時の美人の基準を推測するのは難しいですね。ただ、高松塚古墳壁画に描かれた女性たち(通称:飛鳥美人)の姿を見ると、細い体型が好まれていたようです」
一方、この時代にも巨乳を感じさせる歴史的描写が多少はあったようだ。
「『続日本紀』には奈良時代を代表する美人といわれる元正天皇がかなり豊満だったと記載されています」
また、平安時代の『栄花物語』でも藤原教通の妻の巨乳について「高く盛り上がった」という記述がある。
武家社会の鎌倉時代から安土桃山時代にかけては、織田信長の妹・お市の方に代表されるように、スレンダー体型が美の主流となっていた。
江戸時代以前の文学や絵画には、巨乳を描いた作品が少ないが、風俗史研究家の井上章一教授がその理由を考察してくれた。
「私の記憶する限り、日本の絵画で乳房がしっかりと描写された最初の作品は、江戸初期の岩佐又兵衛作『山中常盤物語絵巻』です。この絵の乳房に性的な要素は皆無でした。
当時の男性は女性器に関心はあっても、女性の乳房には、あまり興味がなかったようです。のちに、西洋文化が日本に流入し、彫刻や絵画の乳房を目のあたりにして、初めて女性の乳が日本でも性的に認知されたのだと思われます」
日本で巨乳が愛されるようになるのは、まだまだ後の時代の話なのだ。
【縄文時代】
●女性の豊かな乳房を表わした土偶が多く存在
●妊婦を象った国宝「縄文のビーナス」が中期に製作される
●「山形土偶」と呼ばれる乳房に特徴のある土偶が後期に存在
【古墳時代】
●埴輪が作られはじめるが、女性の埴輪であっても乳房は見当たらない
【奈良時代】
●『万葉集』に高橋虫麻呂の巨乳の恋人を描いた歌が収められる
●『続日本紀』に元正天皇が「豊満だった」とする記載がある
【平安時代】
●夏の部屋着で乳房が透けている単袴姿(ひとえばかま)が出現
●『落窪物語』で監禁された姫が医師に胸をまさぐられる
●『源氏物語』で「胸をあらわにすることはだらしない」と一喝するシーンが描かれる
●『栄花物語』で藤原教通の妻の巨乳について事細かな描写がなされる
●『夜の寝覚』で単衣から見えた乳首が黒く、妊娠していることがわかるシーンがある
【鎌倉時代】
●「裸弁財天」と呼ばれる妙音弁財天が作られる
【戦国時代】
●戦国一の美女「お市の方」は、スレンダー体型だったという
【安土桃山時代】
●明から春宵秘戯図が伝来。胸をあらわにした絵が世間に出回る
(週刊FLASH 2018年3月20日号)