多くの日本男児が愛する巨乳は歴史のなかでどのようにして生まれ、発展を遂げていったのか。江戸時代から昭和前期の巨乳の日本史を振り返る!
江戸時代、春画、艶本などが広まった。
「春画では男女ともに性器は大きく精密に描かれているのに、女性の乳房はあまり描かれていないんです。艶本でも、乳房を愛撫する描写はほとんど登場しません」
こう語るのは、『巨乳の誕生』を執筆したアダルトメディア研究家・安田理央氏。まだ女性の乳房は性的対象ではなく、大きさが重視されることもなかった。
この状況が明治・大正時代に変化する。
「明治2年に政府は春画や混浴を禁止します。外国人から野蛮だと非難されたためです。禁止されたことで、逆に裸体が性的対象となり、乳房への興味も高まったのです」(安田氏)
続く昭和初期には、ヌード写真やヌードイラストが氾濫。しかし1931年の満州事変を機に日本には軍国主義が台頭し、こうした風潮は弾圧されて消えていく。
【江戸時代】
●1591年 江戸における最初の銭湯が出現。このころはすべて混浴
●1617年 吉原遊廓が出来る。「肩出し」「前帯結び」など、着付けから胸をチラ見せする花魁の文化が出来る
●1690年代 菱川師宣の春画が大流行。乳吸いと呼ばれるジャンルが出現
●1722年 享保の改革により好色本が禁止されるものの、非公式に売買される
●1752年 遊女の性技指南書『おさめかまいじょう』には大きな乳房でペニスを挟む技が記される
【明治時代】
●1871年 日本で裸体禁止令発令
●1895年 黒田清輝の裸体画が論争を巻き起こす
●1901年 上野の展覧会で黒田清輝の「裸体婦人像」の下半身部分に布が巻かれる、腰巻事件が起こる
●1905年 春画やエロ写真の取り締まりが本格化
【昭和時代】
●1945年 第二次世界大戦終結
●1947年 ストリップの元祖「額縁ショー」が新宿で開催
●ストリップ劇場「浅草ロック座」開店
●1949年 和江商事(後のワコール)がブラパット発売
●国産肉体派女優第一号といわれる京マチ子、映画デビュー。『痴人の愛』がヒット
(週刊FLASH 2018年3月20日号)