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【巨乳の日本史(3)】国産ブラが1949年に登場する
夜バナFLASH編集部
記事投稿日:2018.04.16 20:00 最終更新日:2018.04.16 20:00
アダルトメディア研究家・安田理央氏が執筆した書籍『巨乳の誕生』が話題を集めている。多くの日本男児が愛する巨乳は歴史のなかでどのようにして生まれ、発展を遂げていったのか。昭和における、巨乳の歴史を振り返る!
「エログロナンセンス」とも呼ばれる扇情的・退廃的な文化が盛り上がった昭和初期から戦前を経て、敗戦後の日本には欧米の文化が一気に流入してきた。
1949年には和江商事(現・ワコール)が日本で初めてブラパットを発表。乳房を隠して保護するブラジャーの誕生である。
また、同時期には「オッパイ小僧」の異名を持つストリップ嬢・川口初子がデビュー。乳房の大きさを売りに芸能活動をするタレントが登場してくるなど、巨乳が徐々に市民権を得てきた時代であった。
映画界でも、グラマー女優たちが出演する洋画に対抗するかのように、豊満な肉体を持った日本人女優が次々と登場。1950年代からは、空前のグラマーブームが到来する。
日本初の下着ショーが開催され、1956年に公開された映画『女真珠王の復讐』では初めてオールヌードシーンを前田通子が披露。「胸を見る」という行為がより身近なものになっていく。
1965年にはバスト103センチの水城リカが映画デビュー。巨乳を示す「ボイン」という言葉が誕生したのも、じつはこの時期だ。
「1967年にテレビ番組『11PM』で胸の大きな朝丘雪路に対して大橋巨泉が発言したボインという言葉が、のちに大流行しました。これは大きい乳房に初めてつけられた名称だったのです」(安田氏)
【1950年代】
●1950年 オッパイ小僧こと川口初子がストリップデビュー。同じくメリー・ローズ(春川ますみ)も登場
●和江商事、自社の専属工場でブラジャーの生産を始める
●1952年 日本初の下着ショー、大阪・阪急百貨店で開催
●1953年 伊東絹子、日本代表としてミス・ユニバースに出場し、3位に。八頭身が話題となる
●1954年 マリリン・モンロー来日
●1956年 和製シルヴァーナ・マンガーノといわれた泉京子、映画デビュー
●『女真珠王の復讐』公開。前田通子が邦画史上初めてオールヌードを披露
●下着ブーム。ブラジャーが一般女性の間に一気に広まる
●1957年 グラマーが流行語に
●1959年 児島明子、ミス・ユニバースで1位に。彼女が大型グラマーだったので、対比する意味でトランジスタ・グラマーという言葉が流行る
【1960年代】
●1964年「平凡パンチ」(平凡出版 のちにマガジンハ ウス)創刊
●1967年『11PM』(日本テレビ系)で大橋巨泉が朝丘雪路の胸を「ボイン」と表現
●青山ミチ、ビキニで102センチの胸をアピールし、『男ブルース』をヒットさせる
●ツイッギー来日でミニスカートブーム。痩せていることが美人の条件に
●1968年『アフタヌーンショー』(NET系)でオッパイ・コンクール開催。橋本益子(B98W60H90)が優勝
●黛ジュン『天使の誘惑』で第10回レコード大賞受賞。伊東ゆかり『恋のしずく』との競り合いは「ボイン対スレンダー」といわれた
●1969年 月亭可朝の『嘆きのボイン』がヒット
●TBS系のドキュメンタリー番組『特捜ズームイン』で、初めてテレビ放送で乳房が映る
(週刊FLASH 2018年3月20日号)