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山本晋也と乱一世「ほとんどビョーキ」なエロ産業を振り返る
夜バナFLASH編集部
記事投稿日:2018.10.17 20:00 最終更新日:2018.10.17 20:00
伝説のテレビ番組『トゥナイト』と続編の『トゥナイト2』は、次々に個性的なエロが生まれた1980~1990年代に絶大な人気を博していた。
2年後の東京五輪に向けて風俗産業への弾圧が囁かれるいま、現場の最前線にいたキーパーソンたちが、番組の舞台裏をくまなく語る!
――1980年10月6日からスタートした『トゥナイト』(テレビ朝日系)。当時41歳の山本晋也監督が、世の中の森羅万象を深掘りする人気コーナー「中年・晋也の真面目な社会学」を始めたのは、番組開始から半年後のことだった。
山本晋也 最初は取材が大変でしたよ。街はヤクザが仕切っていて、怪しげな店ばかりで。
乱一世 当時は一視聴者だったんだけど、おもしろかったのが、新風営法が施行された1985年2月13日24時の放送。カントクの「灯りが消えます。これが今の歌舞伎町です」って叫びながらのリポート。
山本 次々に登場する新業態をまとめて規制する法律だったんだけど、それでも灯りは消えなかった。
乱 思い出深いのは名古屋の「ファイブドアーズ」。ビル一棟がすべて風俗店で、フロアごとに違うサービスをしてくれる。カントクはドアを開けるたびに「ほとんどビョーキですね」を連発していました。
山本 壁の穴から乳首だけが出ているとか、ビニール手袋をはめて女のコの体をさわる店もありましたねえ。なかでも黄金水プレイはすごかった。
乱 ありました、ありました。
山本 客はガラス板の下に仰向けに寝るの。で、ガラスの上で女のコがおしっこをする。放出の勢いがすごくて、すぐ何も見えなくなっちゃう(笑)。
乱 指名が多い女のコは、水分補給が間に合わない。
山本 勢いもチロチロッてね。鑑賞にはじつにいいんだけど、アソコが見えちゃうから放送できなかった。
乱 カントクはよく、棺桶ヘルスのことも言いますよね。
山本 男と女が棺桶の中で密着する遊びで、狭すぎて触れないわ、酸欠になるわで大変でね。あるパーティでね、石原慎太郎さんから店名を聞かれたの。あとで、遊びに行ったんじゃないかとみてますね(笑)。
乱 石原さんも隅に置けないなあ(笑)。のぞき部屋も印象深いですよね。
山本 女のコが自分の部屋にいるような演技をして、それを個室に入った男どもがマジックミラー越しにじっと見るお遊び。女のコの演技が上手でしたねえ。
乱 個室内のランプを押すと、女のコが目の前に来て、アソコを見せてくれる。
山本 さらにランプを押すと、別の女のコが個室に来て処理のヘルプをしてくれた。じつにシステマチックだった(笑)。
乱 すごかったのが、ラッキーホールというサービス。
山本 壁にアイドル歌手のポスターが貼ってあって、ちょうど股間のところがくり抜かれているの。その穴に男がアレを差し込むと、壁の向こうにいるお姉さんが手で抜いてくれるという寸法。
乱 1万人を抜いた伝説のお姉さんをリポートされていましたね。
山本 元ソープ嬢でね。驚いたことに、2本同時にサービスするんだ。片方はフィニッシュが近いけど、もう片方はまだイかない。だから左右の手の動きが違う。こっちは激しく、こっちはゆっくり。もう職人技(笑)。
乱 料金も2000円くらいだったから、学生や若いサラリーマンに人気がありましたよね。カントク、相互鑑賞喫茶って覚えてます?
山本 覚えてますよ。これもほとんどビョーキだった(爆笑)。座席と座席の間に竹垣が組まれていて、下のところにだけ穴が開いてる。そこからお隣さんの行為を覗き見する、なんともいえない遊び。
乱 抱きキャバ「A」もすごかったですよね。
山本 本物の女子大生やOLが相手をしてくれる。しかもみんなかわいい。
乱 体育館のように広い店内に二人掛けのシートがズラッと並んでいて、そこで男と女がダッコちゃんスタイルになっておっぱいを揉みながら延々とキスをする。
山本 行列ができるほど繁盛していましたねえ。控室に行ったら、うがい薬のイソジンが山のようにあった(笑)。
乱 当時は、風俗で働くコも、いまとは違いました。
山本 ノーパン喫茶だったかな、友達の紹介で入店したという青森の五所川原出身のコに、「歌舞伎町で働いていちばんよかったのは、天丼が食べられたこと」って言われて、泣けてきたねえ。
控室には三島由紀夫や司馬遼太郎の文庫本が置いてあったりして。地方の女のコが上京して、女というだけで生きていける街が歌舞伎町だったんだろうね。
乱 『トゥナイト』が始まったころから、男の遊びの意識が変わったような気がするなあ。ストリップとかはあったけど、キスまでして、モヤモヤしたまま帰るなんて、それ以前はなかった。それで満足できるって、なんとも不思議ですよね(笑)。
やまもとしんや
1939年生まれ 東京都出身 岩波映画製作所を経て、成人映画を中心に約250本の作品を監督。コメンテーターとしても数多くの番組に出演
らんいっせい
1950年生まれ 東京都出身 1976年、『ザ・パンチ・パンチ・パンチ』(ニッポン放送)のパーソナリティとしてデビュー。現在もリポーターやナレーターとして活躍中
(週刊FLASH 2018年9月18日号)