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勃起リングから着エロまで「平成エロ事件史」H11年〜20年
夜バナFLASH編集部
記事投稿日:2019.04.07 20:00 最終更新日:2019.04.07 20:00
創刊から約2年、第102号を発行したころ、時代は平成に突入した。以来30年間、本誌は驚異のスピードで進化する「エロ産業」の最前線を取材しつづけてきた。平成の最後に、転換点になった「あの事件」を、キーパーソンの証言を得てよみがえらせる!
●「なんと主婦が発案者! 15万個売れた[勃起リング]」(第599号/平成11年7月27日号)
勃起補助具「パワーリングネオ」を発明し、大ヒットさせた臼井由妃氏(61)。当時、写写丸も「気を紛らわせてもなかなか収まりがつかない」と、嬉しい悲鳴を上げた。
「従来品を買うには、アダルトショップへ行く必要があり、ハードルが高かったんです。そこで、通信販売を中心に、薬局などで買える商品を作れば、必ず売れると確信したのです」
現在は、勃起補助具の開発からは離れ、執筆や講演会を中心に活動している。著作はなんと60冊超にのぼる。
●「『新型スケベ椅子』発明ソープ嬢VS.『風俗店制服メーカー』女社長」
風俗専用のオリジナル制服を扱い、年商1億円を稼ぎ出していた島崎育子氏。当時は愛知、岐阜、三重を中心に300店舗と取引していた。
「じつは、この2、3年で30店舗まで落ち込んでしまい、2018年10月にお店を閉めました。縫製する人たちが高齢化でいなくなったのと、デリヘルが増え、制服にお金をかけないようになったのが理由です」
残していたWEBショップ部門を閉めたのは、なんと今回の取材の前日だった……。
●「[着エロ]の世界へようこそ!」(第743号/平成14年9月17日号)
「ヌードが氾濫している現在、あえて隠すことでそこがクローズアップされ、世の男性の股間がうずくのではないかと考えた」と、メーカー担当者は語っていた。
ちなみに……諸説あるが、「着エロ」という言葉を生み出したのは本誌だ。ブームのきっかけは、インリン・オブ・ジョイトイだった。
●「『AV新星』吉沢明歩の桃色E乳をマジ揺れナマ写」(第766号/平成15年3月11日号)
平成最後のレジェンド女優は、2003年3月のデビューに先駆け、本誌にも初登場していた。
「AVを取り巻く時代の変化を感じた、16年間でした。作品や著書を通じて、ファンタジーではない『女性目線での気持ちよさ』を、自分の言葉で伝えられたかなって思っています。
私は、女優を引退しました。いま、性産業が増えているなかで、一般の方の性病に対する、意識の低さを感じます。『自分を守れるのは自分だけ』ということを、これからも伝えていきたいと思っています」
●「HIPフェチサイト100『尻』巡礼」(第834号/平成16年9月7日号)
当時は、フェチ画像サイトの戦国時代。「尻」ひとつとっても、数えきれないほどのサイトが乱立していた。このとき紹介した10サイトのうち、なんと半数が現在も絶賛更新中。動画が圧倒的主流になっても、フェチ画像の人気は根強いのだ。
●「さよなら『ナンパAV』」(第863号/平成17年4月26日号)
「マジックミラー号」も一時は存続が危ぶまれた。都条例改正で、スカウト行為が禁止になり、ナンパAVは下火に。
●「あの村西とおるが『ラブドール』をお届けします!」(第867号/平成17年5月31日号)
借金返済中の村西とおる監督が考案した、ニュー風俗。
「かつて人類が相まみえたことのないような、想像もできない人間になることだけを心に念じ生きて、挙げ句のなれの果てです。愚か者よ、とお笑いください。ナイスですね」
●「SEX教団ザイン テレビ生本番大暴れ」(第887号/平成17年10月25日号)
「ザイ〜〜ン!」という謎の掛け声とともに、おもむろに服を脱ぎだす女性たち……。団体の代表であった人物は別の名前の団体を立ち上げ、活動を続けている。
(週刊FLASH 2019年3月26日号)