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700人と遊んだ芥川賞作家「西村賢太」の吉原探訪
夜バナFLASH編集部
記事投稿日:2019.05.06 20:00 最終更新日:2019.05.06 20:00
鶯谷の居酒屋からほど近い、吉原。芥川賞作家の西村賢太氏とは吉原大門交差点で待ち合わせた。
男たちが、名残りを惜しんで振り返ったことが由来の「見返り柳」。その説明を読みながら「ふだんはデリヘルが多くて、吉原はそれほど来ないんです。僕にとっての吉原は、師と仰ぐ大正時代の作家、藤澤清造も通った、歴史的なイメージの街です」と西村氏。
西村氏はこれまでおよそ700人と遊んだが、そのうち素人女性は7人しかいないという。
「今の見返り柳は、8代目なんですよ」
吉原の歴史散策ツアーを主催する酒井よし彦カメラマンの案内で、女性たちと吉原界隈を巡った。
今は交番になっている見番の跡地、掘割の名残りである石垣、遊客が乱れた衣紋を直した「衣紋坂」……。酒井氏の説明を聞きながら、一行は日本初の遊廓専門書店の「カストリ書房」に到着した。
小田原の私娼窟を舞台にした川崎長太郎『抹香町』を手に取り「噂は聞いていました。来てみたかったんですよ」と破顔する西村氏。
カストリ書房をあとにして、ソープ街の裏通りへ。大正モダンの雰囲気が漂う建物がある一角に出た。
「モルタルの壁にカーブの装飾があっておしゃれです。昭和21年に公娼制度が廃止され、カフェとして営業していました。いわゆる赤線です。一階がダンスフロアになっていて、そこで気に入った女給さんを2階に連れていって楽しんでいたんですね」(酒井氏)
「メインの入口のほかに小さな入口があるのも、怪しげですなあ」と西村氏も興味深げである。
そして煌びやかなソープの看板が並ぶ通りに。
「私、ここで働いてた!」と月緖さんが店を指さす。
近くの店先にいたボーイ氏が「あれ、西村先生。一緒に写真を撮ってください」と声をかけてきた。照れながらも応じる西村氏。不思議なツーショットになった。
最後は吉原弁財天へ。関東大震災で犠牲になった遊女たちを鎮魂するため、震災の3年後の大正3年に設置された。
長く手を合わせた西村氏は「今回はどこも思い出に残ったけど、この弁財天に来られたことは本当によかった」。
気のせいか、少し涙目になっていた西村氏。「本来なら『なんでこんなに歩かされるんだ』と思うんだけどね。そういや、ヘビースモーカーの僕が、まだ1本しか吸ってねえや(笑)」
いつもの悪役顔に戻っていた。
西村賢太
1967年生まれ 東京都江戸川区出身 中卒。2011年、『苦役列車』で第144回芥川賞受賞。著作は『芝公園六角堂跡』(文藝春秋)、『羅針盤は壊れても』(講談社)ほか55冊にのぼる
(週刊FLASH 2019年4月9日号)