エンダム陣営の判断が村田の話を裏付ける。
「エンダムはブロックがしっかりしているから、普段はジャブをもらうような選手じゃない。あんなにジャブをもらってしまうのだからコンディションは悪い。これ以上続けて大怪我をさせてはいけないと判断した」(エンダム陣営)
エンダムは試合後、9月のトレーニングキャンプ前に左足首を痛めたこと、キャンプに入ってすぐ40度近い発熱があり10日間トレーニングを休んだこと、ハリケーンの来襲でジムが使えなかったこと、などを明かし「試合のキャンセルも考えた」と話した。エンダムは「まだ試合を続けたかった」と語ったが、棄権の判断にはこうした背景もあったのだという。
因縁の再戦に終止符を打った村田。ボクシング五輪金メダリストから世界チャンピオンという日本人選手として初めての快挙を成し遂げた。
オリンピックで金メダルを獲得したときの違いを問われた村田は「オリンピックのときとは経験値が違います」と答えた。
金メダルを獲得したときは、その後に訪れた非日常の世界を想像できなかった。数々のイベント、テレビに出演し、多くの取材を受け、それに伴う責任も生じた。今回は五輪の経験があるだけに、「これから降りかかるであろう大変さを痛感しているという意味では、いまのほうが(金メダルよりも重みが)あります」ということだ。
村田が自覚するように、注目度はさらに上がり、ファンの期待もますます大きくなるだろう。村田の上位に位置するWBAスーパー王座をはじめ、3本のベルトを保持するゲンナジー・ゴロフキン、そのゴロフキンとしのぎを削るサウル“カネロ”アルバレスがミドル級の2大巨頭。村田はこれから、こういったトップ・オブ・トップとの対戦を目指していくことになる。
試合翌日の記者会見は「海外から見たら自分はまだ『誰だよお前?』というレベル。海外での価値を着実に高めていきたい」と現在の自分の立ち位置を謙虚に認めた。とはいえ、エンダムに勝利したことで、ゴロフキンやカネロに向かって大きな一歩を踏み出したことは間違いない。
本田会長は「初防衛戦は来春頃に日本でおこない、2度目の防衛戦は米国に行く」 と言う。
村田は「高校の恩師(ボクシング部の監督だった故・武元前川先生)が言ったことですが『ボクシングで勝つということは、相手を踏みにじり、その上に自分が立つということ。だから、勝った人間は責任が伴うのだ』と。僕もエンダムの分も責任を背負って、これからも闘っていきます」
村田伝説の第2幕が間もなくスタートする。