連載
もめん派の吉田戦車「豆腐屋の豆腐」で人生を思い出す
連載FLASH編集部
記事投稿日:2017.12.13 11:00 最終更新日:2017.12.13 11:00
子供の頃、近所に豆腐屋があり、よく「おつかい」をしていた。
おそらく小学2、3年生。店内のおぼろげな記憶がなつかしい。豆腐屋のおじさん、おばさんは、子供がおつかいに行くとアメをくれた。
くれるというご近所コドモ情報を得て、自分から「買いに行く」と言い出したのかもしれない。
アメは「バターボール」だった。小分け包装された、黄色いやつ。その後数十年、まったく口にしていないな。
アメ目的のおつかいはそれほど長くは続かなかった。
何かの選挙にからんで、ということだったと思うのだが、豆腐屋のおじさんが、ふだん売っていない特製の豆腐をうちに持ってきたことがあった。
今思えば大豆の使用量が多かったのだろう。ずしっと重くて味が濃く、うまかった。
それは賄賂とはいわないまでも、なんらかの特別な「ごあいさつ」であったようで、親はむずかしい顔をし、あまり買いに行かなくなり、やがて閉店してしまった……ような記憶がある。
底に小判が敷きつめてあったわけでもなく、なんだか素朴ないい手みやげだよな、と今となっては思う。
次の豆腐屋通いは、高校を卒業して上京後である。
初めて一人暮らしをした三鷹市下連雀のアパートの近所に豆腐屋があり、たまに買っていた。今も営業しているようで、すばらしい。
スーパーでもっと安い豆腐は買えるが、「豆腐屋さんの豆腐はうまい」という、幼少時からの思い込みがあった。というか、実際おいしかったのだ。
次に暮らした東京都町田市のアパートの近所には、近くの豆腐屋から仕入れたフレッシュな豆腐を置いている酒屋があり、アルコール類とともによく買った。
ちなみに、どちらかといえば「もめん派」で、その頃のメインの食べ方は「けずりぶしと醬油だけ」という、漢(おとこ)冷奴だった。
その後あちこち転々と引っ越したが、豆腐屋とは縁が薄く、豆腐はスーパーで買うものになっていった。
町の豆腐屋さんが次々と姿を消してゆくのと連動していたのかもしれない。それでも、東京はまだ残っているほうだと思うが。
今暮らしている町には、自転車距離に一軒豆腐屋さんがある。おいしいんだけど、利用はせいぜい年に一度か二度。
年配のご夫婦でやっているので、「いつなくなってもおかしくないな……」という懸念はあるのだが、買いものの動線からはずれており、なかなか足が向かない。
スーパーで一般的な豆腐を買って、とくに感動もなく味噌汁や鍋に入れているのだが、若い頃の、豆腐と正座して向かい合うような食べ方を思い出すと、やっぱり町の豆腐屋さんの豆腐も買わなきゃいかん、と思う。
小学生の娘も連れて行っておくべきかもしれない。
毎朝一日分を仕込んで売る個人豆腐店のたたずまいを、記憶に残してやりたい。
よしだせんしゃ
マンガ家 1963年生まれ 岩手県出身 『伝染るんです。』『ぷりぷり県』『まんが親』『おかゆネコ』など著作多数。「ビッグコミックオリジナル」で『出かけ親』、「ビッグコミックスピリッツ」にて『忍風! 肉とめし』を連載中。妻はマンガ家・伊藤理佐さん
※本誌連載では、毎週Smart FLASH未公開のイラストも掲載
(週刊FLASH 2017年12月19日号)